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善本喜一郎さんの写真集「東京タイムスリップ」シリーズが好評だ。
ページをめくると、40年ほど前の懐かしい東京の街と風俗が目に飛び込んでくる。その横には現在の同じ場所の写真が並び、東京の劇的な変化が楽しめる。
昨春、『東京タイムスリップ1984⇔2021』(河出書房新社)を発売すると「毎月のように増刷で、もう6刷です。こんなに売れるとは思わなかった。写真好きとは違う、一般の人にヒットした」。すぐに版元から「パート2を」と、声がかかり、『東京DEEPタイムスリップ1984⇔2022』も加わった。
昔から東京を写してきた写真家は大勢いる。
ところが、「あの時代、こんなふうに東京の景観を撮影していた人はほとんどいないんですよ」と、善本さんは言う。
それはなぜなのか? 話は40年前にさかのぼる。
■「ぼくは天邪鬼だから」
善本さんは東京写真専門学校の2年生のとき、森山大道さんと深瀬昌久さんのゼミで「写真家としての生きざまを学んだ」。
「ぼくはもともとシリアスフォトというか、ドキュメンタリーを目指していたんですけれど、いかんせん、アバンギャルドな2人を間近で見ていて、作家として生きていくのは無理だと思った」
84年に卒業すると、週刊「平凡パンチ」(マガジンハウス)のスタッフとなった。さらに同じころ、ゼミの仲間たちと資金を出し合い、渋谷に「ギャラリー櫻組」を立ち上げた。
「あのころ森山さんが発表した作品『光と影』の桜の写真がかっこよかったんです。それで、森山さんがギャラリーの名前は『櫻組だ』って。卒業後も作品を撮り続けるためには発表の場を自分で持て、と。ギャラリーやれば3カ月に1回、作品を展示する順番が回ってくる――そんな森山さんの教えのもと、2年間限定でギャラリーを開いた」
善本さんは普段活動していた新宿や渋谷を中心に撮影し、作品を展示した。
「でも、最初のころは森山さんからいろいろと言われました。『浅い写真だ』『スナップショットはもっと寄れ』とか」
善本さんは、自分の主張を押しつけるような写真ではなく、街の景観の魅力をすっきりと見せたかった。
「みんなの写真は、いわゆる森山スタイルの被写体に寄ったスナップ写真だったんです。でも、ぼくは天邪鬼(あまのじゃく)だから、それとは違うものを撮ろうとした。あえて引いたスタンスで撮った写真ばかりをぶつけた」
ある日、森山さんは善本さんの写真を評価するようになった。
「それまで森山さんにはプリントした写真を見せていたんですが、ゼミ仲間と夏合宿をしたとき、プロジェクターで大きく投影したら、森山さんが『おお、いいじゃねえか。面白い』って、言ってくれた。それで自信を持った」