渋谷宮益坂下1984(撮影:善本喜一郎)
渋谷宮益坂下1984(撮影:善本喜一郎)

■新型コロナがきっかけに

 善本さんは「平凡パンチ」の取材でありとあらゆる現場に駆り出された。作品を撮るための時間をまとめてとれなかったので、「新宿・歌舞伎町の風俗取材の合間とかに撮影した」。

 そんな作品を写真評論家・飯沢耕太郎さんが月刊「日本カメラ」の写真展評で取り上げてくれた。

「すごくうれしかったの覚えています。でも、世間から相手にされたのはそれくらいでした。ギャラリーにほとんどお客さんは来ないし、写真家として生きることのつらさをまざまざと味わった」

 86年、ギャラリー櫻組を閉廊すると、善本さんは東京の撮影に区切りをつけた。「それ以降も撮ったんですけれど、時代はもうバブルでした」。再開発が進み、東京の街から戦後のにおいが急速に薄れていった。「平凡パンチ」も88年に休刊した。

 一方、善本さんは時代の波に乗った。「POPEYE」「BRUTUS」「Tarzan」と、次々と新しい雑誌に仕事を広げ、広告写真の世界でも活躍するようになった。

 そんな善本さんが約40年ぶりに櫻組時代の写真を見返すきっかけとなったのが新型コロナだった。

「緊急事態宣言で仕事がなくなっちゃった。ちょうど還暦を過ぎたので、昔の写真を全部処分しようと思った。ところが、ネガを見始めたら面白くなっちゃって」

渋谷宮益坂下2021(撮影:善本喜一郎)
渋谷宮益坂下2021(撮影:善本喜一郎)

■昭和天皇即位記念碑とドヤ街

 善本さんがよく通ったという新宿駅東南口周辺の写真には、街の様子が細部まで克明に写しとられている。なので、カメラを三脚に据えて撮影したものだと思っていた。

 ところが、「全部、手持ち撮影です。こんなところで三脚を据えて撮っていたら怖いですよ。逃げられないから」と言う。筆者が首をかしげると、善本さんはこう続けた。

「このへんはドヤ街で結構、ヤバかったんです。カメラを持ってうろうろしていると『お前、何撮っているんだ?』と詰問された。でも、新宿駅東南口は圧倒的に面白かった。西口の超高層ビルを背景に、戦後の闇市の名残があって、そのコントラストが強烈だった」

 東南口の階段を脇には昭和天皇即位を記念した御大典記念碑が写っている(その後、西新宿の十二社野神社に移設)。

「その裏にはストリップ小屋とかがあった。まさに昭和ですよ。あとは面白かったのは歌舞伎町。華やかな新宿通りを道1本入ると、焼け跡の雰囲気が残っていた」

 そう言ってページをめくると、意外な人の姿が写っていた。

「すごい偶然なんですが、このアフロヘアの人、84年の新宿タイガーさん」

 派手な衣装でタイガーマスクのお面をかぶり、新聞を配達する男性で、いつの間にか「新宿タイガー」と呼ばれるようになった。

「先日、テレビ東京の番組でご本人に会って、写真を見せたら、これは自分だって、すごく喜んでいました」

 それが縁で、現在の新宿タイガーを同じ場所で撮影した。

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