翌朝に読み返すと、あまりに恥ずかしい文だったので(←もはや恒例行事)、その羞恥に耐えられず、数日後に削除してしまいました(リアクション頂いた方々、本当にすみませんでした。この場を借り)。
まあ、酔っ払って呟いた恥ずかしいツイートを削除するなら、他にも山ほど削除しなければいけないツイートがあるだろうという気もしますが。うんちとか。あと、うんちとか。そしてうんちとか。
ただ、実はシラフでも、そう思っています。
あ、いやいや、シラフでずっと、うんち、うんちと思ってるわけではありませんよ。
しかし、ホントになんで俺は酔っ払うと、うんちって呟きたくなるんだろう。今まで何度うんちと呟いただろう。そのせいで世間さまから「佐藤二朗はうんちが好き」と思われてしまったではないか。いや好きだが。わりとうんちは好きだが。響きね。うんちという言葉の響きはわりと好きだが。いやそれほど積極的に好きではないが。オナラほど好きではないが。なんだろう。友達以上恋人未満、かな。うんちとの恋は、いつだって発展途上の、現在進行形。それが、僕とうんちの、恋のディスタンス。そして黙って読んでないで早く俺を止めなさいよ君たち。
さあ、K氏とうんちのおかげでますます字数を稼げたゆえ、今度こそ話を進めねばならぬ。
シラフでも、そう思うのです。
「ひきこもり先生」は「いのちのたたかい」の物語であると。
生きづらさを抱えた大人や子どもの、「いのちのたたかい」の物語だと。
たたかった果てに、青い空が広がっているのか、泥水をすするのか、分からないけれど、
少なくとも「生きている」と偽りなく言えるために挑む「いのちのたたかい」。
後編の放送は、12月24日土曜日。
イブの夜に、僕たちが全力で拵えたクリスマスプレゼントを。
どうか皆さんの胸に、
届きますよう。