前出の福留よりも1年早く自費キャンプを経験したのが、同じ中日のエース・川上憲伸だ。

 05年、2年連続二桁の11勝を挙げた川上だったが、12月の第1回交渉で、球団側の提示は2000万円ダウンの2億1000万円。8月以降の1勝5敗の不振がV逸につながったという理由からだった。これに対し、川上は「11勝してダウンなら、どれだけやれば年俸が上がるのか?」と不満を訴え、越年となった。

 球団側は年明け後の2回目交渉で出来高契約の見直しを提案したが、川上は「出来高では魂がこもらない」と難色を示す。さらに1月26日の3回目交渉でも、川上は「ほとんど毎回、同じ話。内容は変わらないです」と態度を保留し、自費キャンプが決まった。

 そして2月12日、川上は1000万円ダウンの2億2000万円でようやくサイン。マイナス査定の一部を川上が受け入れ、球団側も“エースの看板料”1000万円の上積みと今後の査定の見直しを条件に、両者が歩み寄った形だ。

「自費キャンプは気にならなかったが、素直になれた。自分中心の立場を変えれば簡単な話」と約2カ月に及んだ“銭闘”を振り返った川上は同年、リーグ最多の17勝を挙げ、2年ぶりVに貢献。年俸も3億4000万円に上がり、今度は一発更改となった。

 ところが、12勝を挙げ、チームの53年ぶり日本一に貢献した07年オフにも、まさかの現状維持提示に、「自分の考え方と球団側の評価で、どれひとつとして近寄れる部分がなかった」と怒りの保留。年明け後も歩み寄れず、2度目の自費キャンプに突入した。

 一方、2年連続の自費キャンプとなったのが、西武時代のGG佐藤だ。

 07年にレギュラーに定着し、打率.280、25本塁打、69打点を記録した佐藤は、オフの契約更改で2300万円アップの年俸3500万円を提示されると、希望額4500万円との差に、「交渉している気がしない。ぶち切れていいですか」と怒りをあらわにした。

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