その後も異例の1日2度の交渉も含め、年明け後の08年1月8日まで6度保留した佐藤は「第三者の意見も聞いてみたい」と年俸調停を申請したが、小池唯夫パ・リーグ会長に「話し合う余地があると判断した」と却下された。

 そこで、代理人交渉に切り替え、球団と話し合いを再開したものの、1月中に歩み寄れず、計9度の保留の末、自費キャンプが決定した。

「弁護士(代理人)費用もかかっているので、譲れる部分と譲れない部分がある」と主張しつづけた佐藤がサインしたのは、キャンプ終盤の2月22日。条件は3700万円プラス出来高500万円だった。

 さらに08年も、北京五輪の日本代表メンバーに選ばれ、公式戦で打率.302、21本塁打、62打点を記録した佐藤だったが、シーズン終盤の負傷離脱が影響し、またもや交渉が難航。倍増を希望する佐藤に対し、球団側の提示額は1000万円以上の開きがあり、2年連続自費キャンプに……。

 最終的に前年より遅い2月27日に6700万円プラス出来高500万円で「完全に納得して」サイン。2年連続で12球団最後の契約更改者となった佐藤に対し、「そんなに何度も保留しなくても」の声もあったが、大学卒業後、米マイナーで2年間苦しい生活を送り、お金の大切さが身に沁みていた佐藤は「アメリカナイズされていたところもあって」と回想している。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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