現在でも、業務が拡大したり、営業環境が変わったりしても、昔の仕組みをつづけている会社や組織に、誰もが心当たりがあると思う。昔のやり方で成果を出した成功体験があるから、会社も組織もますます変われなくなる。成功して、なお高みを目指して変わる挑戦はそれほど難しい。しかし人や会社・組織をとりまく環境は刻々と変化する。昨日の正解が、明日の正解であるとは限らない。
電話もインターネットも、鉄道も自動車もなかった家康の時代、すばやく情報をつかみ、軍勢を効率的に移動させるには、本拠の移転が最適解だった。もともとの本拠にこだわると、大きくなった領国境に軍勢を送るだけで、百キロ超もの移動が求められた。それにかかる時間も費用も莫大で、勝てば勝つほどその負担は増えて、限界を超えると大名の領国経営は破綻した。
家康がそうした武田家の失敗例を目撃したのは、はるかのちのことだった。だから浜松移転を選択した家康の先見性が光る。浜松は家康の挑戦しつづける意志を受け継ぐ街である。
■地下から真実が浮かび上がる
浜松城は、明治に廃城になると、天守曲輪など城の中心部は昭和初期まで民間によって共同管理され、天守台には「鉄城閣」と呼ぶ鉄塔の展望台が置かれた。御殿が立ち並んでいた二の丸は1948(昭和23)年から元城小学校になった。1950年に城の中心部の公有地化が図られ、城の北側に浜松市動物園が開園、52年に本丸南東部から二の丸南側一帯は市役所となった。そして本丸南側には警察署や税務署が立ち並ぶようになった。