大宮エリーさん(左)と隈研吾さん(撮影/篠塚ようこ)
大宮エリーさん(左)と隈研吾さん(撮影/篠塚ようこ)

 だから、どの仕事にも、俺がやってやる!とかいう野心を感じない。依頼人の話を聞いて、その場所の意味を真摯(しんし)に考える。そこに、自然で必然で楽しいアイデアが生まれる。違和感を出してやろうという作意や、「どや、俺の作品だぞ、俺を見ろ」という自己顕示欲がないんだと思う。ただ、そこに集う人が楽しくなって、なんだか居心地よくて、適度に、ああ、隈さん、気が利いてるな、繊細な心遣いだな、センスいいなと思わせて、だからといって嫌みじゃない。みんないつしか建築を忘れて居心地良い時を過ごす。そんな、エアー建築が隈さんなのかなと感じた。

 アフリカの集落を訪れたことに影響を受け、みんながいっしょにいて楽しい感じ。声が聞こえる感じ。そして自らの生い立ちの貧しきされど心豊かな少年時代の実家の思い出。何より大事にする、寂しくない感じ。寂しいのが嫌い、楽しいのがいい。それに尽きるのだなと思った。だからこそ、隈さんが憂うる未来の少子化日本。未来を寂しくしないために、あの、コロナ無観客を見越したかのようなデザインになったとは、思いやりの勝利である。負ける建築は、思いやりと寄り添う気持ちで、いつも勝つ。隈さんの建築が、またここもか、となっているのは、みんなが、未来に不安を感じているから、楽しくなりたくて、安心したくて、隈さんに託しているのかなと思った。ひとりにしないよ、という栖(すみか)を作ってほしくて。

 そんな隈さんが建築以外にしたいことって何だろう。対談が終わったのにまた対談したいのは初めてだ。(文/大宮エリー

AERA 2023年2月27日号

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