障害を乗り越え、限界に挑戦するパラアスリートが与えてくれる感動。だが、そこにつらさを感じる人たちがいる。健常者に突きつけられた課題とは。パラリンピックをめぐる障害者の思いを取材したAERA 2020年2月17日号の記事を紹介する。
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「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ。」
2018年に東京都が発表したパラスポーツのポスターの文言だ。都が競技写真に、選手の言葉を載せて作った。
都内の大学職員の男性(41)が、ツイッターに「東京都庁で障害者雇用されると、障害を理由にできないことがあっても、『言い訳だ!』と上司に詰められるわけですね」と投稿すると、8千件以上リツイートされる反響があった。都は謝罪し、掲示から1週間で撤去した。
問題提起した男性は、統合失調症の精神障害者だ。
「パラアスリートは別世界の人。その人たちの理論を社会から一律に押し付けられているような気がした」
「(障害者と健常者が)同じ舞台で戦えるんだよってことを言ってるだけ」といった反論もあったが、「健常者が障害者に対して、パラアスリートを元にしたイメージを持つことが怖い。障害者雇用をする会社の社長が、選手のような人がいいと選びだしたら、私は漏れてしまうだろう」と危機感を覚えた。
男性は障害者雇用枠で今の職場に入ってから約1年半、朝に「おはようございます」とあいさつするほかは、ほとんど他の職員と会話はなく、実質、無視されていた。仕事もあまりなかった。直属の上司から、パソコンに数字を入力するような作業の依頼はあったが、すぐに終わってしまうものばかり。1日6時間の勤務時間のうち、実質的に働いたのは15分ほどだった日もあった。やることがなくて、ネットを見て時間を潰した。
「精神障害者のことを『わけのわからない、何をするかわからない人』と思っていたのでしょう」(男性)
男性は自分自身を、「スマートフォンに例えると、中身は普通だが、バッテリーがもたない状態」だという。前日に頑張りすぎると、翌朝は起きられない。症状は大阪大学の学生だった頃からだ。枕元で鳴るアラームを消した後、何もできなくなる。目を開けていても、何も考えることはできない。何時間も布団の中でじっとして、「無の世界」に入るしかない。