勤めて5年たち、職場の人と触れ合う中で、今では少しずつわかってもらえるようになったという。「外の雨はどう?」「スマホを買い替えようと思うけど、おすすめはある?」などと些細なことでも話しかけられるようになった。任せられる仕事も増えた。

 東京パラリンピック観戦チケットの1次申込枚数が、史上最多の販売数だった12年ロンドン大会の3倍となり、大会への注目度が高まっている。日本では1964年の東京大会をきっかけに、スポーツをする障害者が社会進出し、自己実現することが認知されるようになった。

 だが、活躍するパラリンピアンを目にして、「障害者は頑張るもの」「配慮さえあれば乗り越えていけるもの」と一くくりのイメージを持ってしまう恐れはないだろうか。

 こうした目線が、障害者差別を助長するという懸念もある。内閣官房の資料によると、英国の障害者支援団体がパラリンピック後に障害者へ意識調査したところ、半数以上が「健常者の障害者への態度は変化を感じない」、2割が「悪化した」と答えた。

 パラリンピックや、障害をものともせず活躍する選手を否定するわけではない。だがパラリンピックには聴覚や精神障害者向けの種目がないなど、すべての障害を網羅してはいない。種目があっても、障害の程度が重すぎては参加が難しい。パラスポーツに向き合い、高いパフォーマンスを発揮できる障害者はごく一部にすぎないということを、我々は意識する必要がある。

「理解を示しているように見せることに酔っていて、実は偏見は消えていない」

 障がい者総合研究所が、障害者を対象に行ったパラリンピックについての意識調査(19年)の自由記述欄には、そんな声も寄せられた。(ライター・井上有紀子)

AERA 2020年2月17日号より抜粋