まず、シンプルなメロディーと、時にエレガントでさえある歌声に耳を奪われる。もともと、塩塚は奇をてらわずに本能的に旋律をつづるタイプのソングライター。「人間だった」はそんな塩塚の持ち味をも生かした簡素な構成だ。過去にないほどノイジーなギター・プレーやハードな演奏に緩急がつけられているため、前半のわかりやすいフレーズのリフレインが不穏な印象を残す。まるで嵐の前の静けさのような、これから起こることを暗示するかのように。

 そして、早い段階で短いサビが現れたのちの中盤の展開が聴き手にさらに強烈な印象を与える。ラップともポエトリー・リーディングともつかないスタイルで、希望とあきらめとを同時ににじませたような歌詞をつぶやいていく塩塚。ストーリーテラーによって導かれた感情なく並べられた言葉がなんと不気味なことか!

 そこで描かれているのは、まるでちょっとしたディストピア小説のような世界だ。人工知能によって支配され、町も人々もコンピューター上での数式によって形成されていくような現代社会を静かに揶揄(やゆ)する。科学技術を駆使してあらゆる生命体の頂点に立つ、人間の奢(おご)れる姿の虚しさをあざ笑うかのように、徹底的に感情を排してつづられるのだ。我々はかつて生身の体を持った人間だった、いつのまにかそれを忘れてしまった、と。

「人間だった」は、無理やり空を飛ぼうとしなくても、自分の足で大地を走ることができる。それを体いっぱい味わうことができるのが人間の良さではなかったか、というテーゼを突きつける。命に限りがあることが胸に刻みつけられる。それに呼応するように最後に収められた曲「恋なんて」では、無力であるがゆえに美しい、人間の最大の魅力を恋になぞらえて大胆に踏み込んでいく。恋なんてくだらないことで傷つくからこそ人間は美しい、と。

 2020年、ブレイクが期待できる羊文学は、大友克洋による漫画『AKIRA』や新海誠監督の映画『天気の子』の世界にも似た、物質文明へのアンチテーゼを歌うだけではない。斜に構えた人間賛歌へと通じる歌を、シャープな演奏と音で描くロック・バンドだ。おそらく今年も多くのフェスやイベントに出演することになるだろう。新しいアルバムを手がけるかもしれない。彼らは音楽も次々と消費されていくこと、そうした連鎖の中に自分たちもまた存在していることを、きっとわかっている。羊文学をとりまく環境が大きくなればなるほど、描かれるジレンマも巨大化していくのではないか。夢と現実社会の間で揺れる妄想の産物として。(文/岡村詩野)

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