稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
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父の故郷の雑煮に欠かせぬ餅菜を3カ月かけてベランダで育て持参するも、「硬い」と一言……(写真:本人提供)
父の故郷の雑煮に欠かせぬ餅菜を3カ月かけてベランダで育て持参するも、「硬い」と一言……(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】父の故郷の雑煮に欠かせぬ餅菜をベランダで育て持参するも…

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 母が亡くなってから一人で暮らす父と、3度めの「二人正月」。泊まりがけで共に数日を過ごすのは年に一度である。

 世間の人がみんなそうなのかはわからないが、ふだん別々に暮らす人とべったり一緒にいるのはそれだけで大事だ。小さなことでグッとつまずく。それが重なると次第にストレスがたまってくる。

 特に、良かれと思ってやったことに相手が期待外れな対応をするのがキツイ。

 今年、私は頑張っておせちを作った。母が亡くなってから初めての挑戦である。母がしていたように黒豆やら昆布巻きやら手のかかる地味な料理をこまこまと2人分、必死に作った。父は無反応であった。というか非常に食べにくそうにしていた。ムッとしている私に気づいたのか、「よく頑張ったね」と言った。精一杯の一言だったとは思う。でもさ、そうじゃないよね。ここは嘘でも「なかなか美味しいじゃない」と言うところでしょうよ~! と心の中で叫ぶ。

 というわけでほぼ意地になって三が日の朝はおせちだけを食卓に並べ続け、父はその度に表情を硬くした。それを見るこちらの表情も硬くなり黙々と向き合う二人。ふと父が「お母ちゃんも一生懸命昆布巻き作ってたな」とポツリ。「でも俺はあんまり好きじゃないから、顔をしかめて食べた」というので、「そうだよ! お母さん可哀想だったよ!(私も可哀想だよ!)」と言うと、父はそうだなと言ってにっこりした。

 そうかお父さん、わかってたんだね。でも一緒に暮らすってそういうことだ。綺麗事でやり過ごせるのは一日二日のことである。

 そんなこんなの正月だったが、私が帰る時、父は「ありがとう、おかげでいいお正月だったよ」と言った。はっとした。その一言が先に言えなかった私。思えば私は小さな「思うようにならない」ことに何度かイライラしたけれど、父は一度だってそんなそぶりは見せなかった。結局、父の方がよほど私よりも大きな人物なのである。

AERA 2020年1月20日号

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