ちょっとした機材があれば簡単に自宅で録音できてしまう現在のアドバンテージから、作品の提供自体もこうしたネット上のストリーミング・サービスが自由に使われるようになった。実際、このアルバムで聴ける楽曲の多くが、ホームレコーディングらしい、ある種の密室感を持っている。決して潤沢に制作費を投じられるわけではないので、ともすれば録音はチープだったりもするが、そのハンドメイド感が親しみやすさを醸し出しているのだ。
参加アーティストの一人、西海マリによるソロ・ユニットのmukuchiを聴いて思い出すのは、小西康陽、高浪慶太郎、佐々木麻美子らによる初期のピチカート・ファイヴだ。男性ソロ・プロジェクトのSNJOからは、80年代の日本のヒップホップ黎明(れいめい)期のアーティストたちの息吹を感じ取ることができる。
「エブリデ」とLisaによる兄妹ユニットのwai wai music resortはニュー・ウェイヴと中南米音楽との融合を果たしていたような、かつてのヤン富田を想起させられるし、「エブリデ」のソロ曲はさらにそこにシンガー・ソングライター・テイストが加わっているかのようだ。
宮嶋隆輔と蒲原羽純による男女ユニットの「ゆめであいましょう」からは、「渚にて」や「さかな」といった、80年代以降の日本のインディーズ・シーンの至宝たる「うたもの」の系譜が受け継がれていることを実感。本作の監修をしたthe librarians(ライブラリアンズ)のhikaru yamada(ヒカル・ヤマダ)が自ら参加する本盤ラストの曲は、西海マリがヴォーカルで参加していることから60年代後半のブラジルのカエターノ・ヴェローゾとガル・コスタのデュエットを思い出す。
彼らの楽曲からは国内外の多くの音楽の要素が感じられるわけだが、バックグラウンドを知らなくても、どことなく70年代のニュー・ミュージックや80年代の歌謡曲の一端をみることもできるだろう。かつての日本のポップスや歌謡曲は、実はそうした豊かな音楽的な財産をさりげなく消化した上で聴かせたものだったと改めて伝えてくれるアルバムでもある。ただ単に、聴きやすくて懐かしいポップスに似ているということではなく、その歴史を再検証する意義もここにはある。
かつてのtofubeatsさながらに、SNJOやmukuchiら地方在住のアーティストが多く参加していることも、このアルバムの特長だ。こうしたアーティストが注目されるきっかけの一つを作ったネット・レーベルの「Local Visions(ローカル・ヴィジョンズ)」の存在も忘れてはいけない。
ポップスの歴史において、決して過去と現在とは分断されていない。過去があり現在があり、そしてその現在は実は過去が追い抜いた末の姿なのかもしれないのだ。(文/岡村詩野)
※AERAオンライン限定記事