稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
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これが例のビーサン。思い切りプラだが履き潰すことで許していただきたく(撮影/本人提供)
これが例のビーサン。思い切りプラだが履き潰すことで許していただきたく(撮影/本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】稲垣さんが10月まで履いていたビーサン

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 毎年同じことを言っているが、本当に一年が経つのは早い。今年も特に何も達成せぬまま早くも暮れようと……と総括しそうになりハタと思い直す。年をとるほど時が過ぎるのは早まるらしい。このような悲観的思考では今後の人生が思いやられる。

 よく考えれば今年もいろいろあったではないか。人生初の盆踊りも踊ったし、40年ぶりにピアノの発表会にも出た。編み物も上達した。台湾も行った。ありがたいことだ。この気持ちを忘れぬため、他にも書きそびれたことを書く。

 実はワタクシ、物心ついてこのかた半世紀にわたり悩まされてきた「冷え」を、ついに克服したっぽいのである。

 というのも寒くなってきた頃から、会う人会う人に「薄着だねー」「寒くないの?」と聞かれるのだ。本人自覚ゼロだから驚いた。だが言われてみれば確かに薄着。コートを着なくてもストールで十分と思って出かけると、すれ違う人はダウンを着てニット帽を耳までかぶっていたりする。そういえば、沖縄出張で靴が壊れ慌てて買ったビーサンが気に入り、10月まで履いていて驚かれたっけ。でも本人、言われるまで気づかなかった。つまりは我慢でもなんでもなく、私の足は全然冷たくなかったのだ!

 いやあびっくり。だってずっと寒さが超苦手。特に手足が氷のように冷えるのがきつかった。いったんそうなると体調も機嫌も悪くなり自分でも手がつけられなかった。その私が寒くてもビーサン! 奇跡だ。いうてなんだが私、54歳ですよ。体力も気力も下り坂ど真ん中。それがここへきてまさかの冷え克服?

 思い当たる原因は二つしかない。一つは自宅の冷暖房をやめたこと。冷房で体を冷やすことがなくなり、冬はレッグウォーマーや腹巻きを常用し鍋物ばかり食べていることが奏功したのか。もう一つは家風呂をやめ銭湯に通っていること。皆で入る広い湯船は驚異的に温まるのだ。要するに、便利をやめたら健康が返ってきたのだろうか。

 グレタさんに報告したいような朗報である。

AERA 2019年12月16日号