というのも、英語、少なくともアメリカでは、頭ごなしに「禁止」と戒める注意書きはあまり見かけないからです。たとえば流れが急な川があったとすると、そこに立てられる看板は、江國香織の短篇集のタイトルにもあるように「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」となります。「遊泳禁止」と決めつけるのではなく、最終的な判断を読み手にゆだねています。
思うに、アメリカの人々は権威主義的なものを好まないのでしょう。誰かから細かく指図をされるのが何より嫌い。指図するなら理由を述べろ、そのうえで我々が自分で判断するぜというわけです。そんなアメリカ社会と比べると、日本社会はずいぶん細かいルールで個人を縛り、しかもそれに疑問を抱く人がほとんどいないように見えます。実際わたしも、日本に住んでいるときは公園の看板に目を留めることなどただの一度もありませんでした。それがアメリカに住むようになり、2年ぶりに日本を訪れ、理由なしの「禁止」「厳禁」表記に初めて違和感を持つようになったのです。
「理由なんて言わなくてもわかるでしょ」と、あえて書いていないのでしょうか。また、どなりつけるような直接的物言いによって秩序が保たれているともいえるかもしれません。現に日本の公園は、アメリカのそれより清潔ですから。でも、理由や背景の説明なしにあれもダメこれもダメと注意されるのは、一人間として信用されていないような気分になります。
「宴会禁止」ではなく「ここは住宅街です」のような背景説明がされていたら。「ひもつき手袋はダメ」「マフラーもダメ」といちいち細かく禁止するのではなく、「動きやすい服装で」のひと言だけがあったら。読み手、特に子どもたちに、自分の頭で考えて判断する機会を与えることができるのではないでしょうか。
※AERAオンライン限定記事
◯大井美紗子
おおい・みさこ/アメリカ在住ライター。1986年長野県生まれ。海外書き人クラブ会員。大阪大学文学部卒業後、出版社で育児書の編集者を務める。渡米を機に独立し、日経DUALやサライ.jp、ジュニアエラなどでアメリカの生活文化に関する記事を執筆している。2016年に第1子を日本で、19年に第2子をアメリカで出産。ツイッター:@misakohi