経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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「銀証連携」。新聞紙上でこの言葉が目に留まった。「えっ」と思った。銀証って分離じゃなかったっけ。今時、何いってんの。エコノミストが聞いて呆れる。銀行・証券業界の皆々様にそのように嘲笑されそうである。
だが、エコノミストだからこそ、引っ掛かる。確かに、銀行業務と証券業務の間に厳格な垣根を設ける体制は、今は昔の物語だ。日本においては、1990年代に入るとともに銀証分離が緩和され、子会社方式による相互参入が幅広く認められるようになった。
いまや金融業界はおしなべて「〇〇ホールディングス」の世界だ。巨大持ち株会社の傘下に銀行・証券・信託等々の金融ビジネスが軒を連ね、タッグを組んで多種多様な投資機会のパッケージをお客様に提供している。押し売りしているというべきか。
「貯蓄から投資へ」。この掛け声も、90年代入りとともにかまびすしくなった。預金者を投資家に変貌させる。プチ資本家に仕立て上げる。あの頃から、官民一体でこの策謀が進められてきた。「ミセス・ワタナベ」というグローバル用語が誕生したのも、あの時代のことである。
ミセス・ワタナベは今なお健在だ。主婦たちが、家事の合間にパソコンのワンクリックでグローバル投資に乗り出す。それをアシストするのが、銀証連携の〇〇ホールディングス群だ。
プチ資本家の養成を目指す「投資リテラシー講座」の類いは、今も盛況を極めている。とてつもなくテクニカルな講義が、ミセス・ワタナベたちに技巧派資本家道を授ける。かくして、プチ資本家たちの投資リテラシーは高度に磨き上げられていく。
だが、投資リテラシーと金融リテラシーは違う。信用リテラシーとも違う。信用創造を英語でいえばクレジット・クリエーションだ。クレジットという言葉はラテン語の「クレーデレ」に由来する。「信じる」の意だ。人が人を信用する。この信頼関係の連鎖のなかでしか、本当の金融は生まれない。どこかで信用の鎖が抜け落ちると、大惨事が起きる。リーマン・ショックが、まさにそれだった。信用を置き去りにした投資の世界。銀証連携が狂走すると、この世界ばかりが幅を利かせる。荒野で叫ぶエコノミストの一声でした。
※AERA 2019年12月2日号