なかでも西アフリカの遊牧民・トゥアレグ族の音楽と、イヌイットのコーラス、さらにはフリージャズが重なるような「Eastern」が素晴らしい。音楽のルーツの面でも、音作り、手法の面でも超絶にクロスオーバーした意欲的な曲で、最終的に太宰治というこの映画の主人公を三宅がどのように捉えているのかが伝わってくる。いくつもの人格が交差している太宰のメンタルに、太宰自身振り回されてめまいを起こしている様子を音で表現してみたら――そんなテーマで描いてみたかのように、見事に太宰治という存在を音で表現した楽曲になっている。

 しかも、三宅の活動は決してハードルが高くない。日本に時折やってきては、いくつかのイベントやライブで生演奏を披露しているが、近いところでは17年、ヴォーカリストの青葉市子、ベーシストの渡辺等、ドラマーの山本達久、そしてライブエンジニアであるzAk(ザック)との共演した東京・代官山でのセッションが話題になった。

 国際的音楽家という扱いにあぐらをかくことなく、代官山の小さなライブハウスにも厭わず出演。日本の若きアーティストである青葉市子と同じステージに立って、歌がある音楽と歌のないインストゥルメンタルの垣根も超えるような柔軟性こそが、今なお三宅をクリエーティブな表現者にしているのではないかと思う。

 9月19日には、その時と同じ代官山のライブハウス「晴れたら空に豆まいて」で、「人間失格 太宰治と3人の女たち」の公開記念イベントとして蜷川実花らとのトークセッションを含むリスニング・パーティーを開くという。さまざまな音楽がさまざまなツール、環境でボーダーレスに聴かれるようになっている現在だからこそ、三宅のフレキシブルで開かれた活動や作品は、より映えるし、生きる。そんなことをこの作品を聴きながら感じている。(文/岡村詩野)

AERAオンライン限定記事

暮らしとモノ班 for promotion
大谷翔平選手の好感度の高さに企業もメロメロ!どんな企業と契約している?