哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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参院選では歴史的な低投票率のおかげで絶対得票率が2割を切った自民党が「勝利」を宣言した。そして、外交でも経済政策でも見るべき成果を上げていない総理大臣が在任期間の史上最長を記録しそうである。どうしてこんな「不思議なこと」が起きるのかと訊(き)かれた。
私にもうまくは説明できない。ただ、私くらいの年齢の人間と30歳以下の人たちでは歴史の見方が違っているのが一因ではないかとお答えした。
私たちの世代は、戦後民主主義も核戦争の恐怖も民族解放闘争もベトナム戦争もバブル経済もグローバル化も「アメリカ・ファースト」もいろいろと経験してきた。その結果、人間たちの営みは、行き過ぎがあれば補正され、一方向に雪崩打つといずれ反動が来るということを学んだ。長めにタイムスパンをとって、集団的に見れば、「歴史はそこそこ合理的に推移している」というのは私たちの世代の経験知である。遅々としてではあるが、人権は配慮され、女性の社会進出は進み、子どもたちは保護され、強制収容所は閉じられ、拷問は禁止されるようになった。ときどき後戻りしながらも、人類は全体としては「よりましな未来」に向かってきた。だから、私たちは個人的経験からそのように帰納的に推論した。そして、「よりましな未来」をめざす運動はいずれ日の目を見るだろうと何となく信じていられた。
けれども、生まれてからずっと「どちらかというとろくでもない方向」に一方向的に社会が向かう時代しか知らない人たちは同じようには推論しないだろう。彼らにとって、変化は劣化以外の意味を持たない。彼らの経験が教えるのは「どうせ明日はもっと悪くなる」ということである。ならば、現状維持は生存戦略上、合理的な選択である。想定内の苦痛の方が想定外の幸福よりも生きる基盤としては安定的だ。「知らぬ仏より馴染みの鬼」と言うではないか。
投票にも行かず、デモもせず、日本の衰退をぼんやり眺めている人たちは、「予測可能な仕方で国運が衰微してゆく現状」を受け入れる方が「よりましな未来」を虚しく夢見るよりも現実的で賢明なふるまいだと、たぶん信じているのだ。
※AERA 2019年9月9日号