覚悟を決めて活動していたグループを辞め、チャランゴ奏者として研鑽を積んだ。さまざまな地域を訪ねては生活に触れ、住民らと演奏した。1年後の2002年、再びゴンサロから声がかかった。今度はみごと合格。晴れてカルカスに加入した。
「うれしい半面、外国人の僕が、ボリビア中にいるカルカスの熱狂的なファンに認めてもらえるのか、不安もありました」
ボリビア人以上にボリビアのリズムを弾けるようにならなければ。加入して5年は、日に何時間もチャランゴを弾き込んだ。ファンに「受け入れられた」と感じられるようになったのは、10年ほど経った頃だ。
カルカスのトップボーカル、エルメル・エルモサ(58)は、宍戸の加入についてこう語る。
「最初はみんな驚いたかもしれないが、マコトが入って、カルカスは若さと力強さをもらった。音楽に国境がないことも示せたと思う」
いまや宍戸は、カルカスになくてはならない存在だ。粒ぞろいの宝石のような一音一音で、すぐに彼の弾くチャランゴとわかる。
中南米各国でも名が知られるようになった。ボリビアのウユニ塩湖や、ペルーのマチュピチュなど観光地を訪れると、日本人とわかったとたん、「カルカスのマコトを知っているか?」と尋ねられることがあるほどだ。
18年ぶりとなった2009年のカルカスの来日公演は、彼が働きかけて実現したものだ。ソロCDをリリースするなど、ミュージシャンとしての活動の幅も広げている。
「ずっとカルカスと共にあることは変わらない。ボリビアのフォルクローレを広めるために、新しいことにも積極的に挑戦したい」(宍戸)
カルカスが世界中を回る公演は年間100本超。来日する機会があるのは懐かしくうれしいが、生活の拠点は家族と暮らすボリビアだ。
「ボリビアに骨をうずめると思う」(同)。
結成50年を迎える2年後、カルカスと宍戸誠は、世界で、そして日本で、どんな音楽を聴かせてくれるのか。(ライター・柿崎明子)
※AERA 2019年7月22日号