日本におけるバレエの歩みは、バレエ漫画の歩みでもある。「大きな瞳に星がキラキラ」から「ダンサーの筋肉と汗」へと描写は変化。少女漫画研究者、岩下朋世さんに変遷を聞いた。
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ヨーロッパ発のハイソなバレエが、日本では漫画という大衆メディアに載って広がりました。
1950年代に手塚治虫がバレエを取り入れた作品を描いていますが、バレエが少女漫画の人気になるのは、森下洋子が登場した60年前後。その後、定番化したバレエ漫画は学年誌でおなじみのジャンルとなり、そこで活躍したのが谷ゆき子です。谷の作品は、バレリーナを目指す女の子がお母さんや弟に死なれたり、妹が誘拐されたり、虎に襲われたりと、奇天烈な展開を見せます。それが小学生に訴えるストーリーだったからですが、作品の本質は「母子もの」であり、メロドラマを飾るきらびやかなモチーフとしてバレエが使われていたのです。
同時代の状況も踏まえたリアリティーのあるバレエ漫画が現れるのは、海外渡航が一般化し始め、バレエ団の日本公演が増えた70年代。『アラベスク』(山岸凉子)、『SWAN』(有吉京子)という2作品で、流れは劇的に変わりました。いずれも自己研鑽の「道」としてバレエが描かれ、ここでバレエ漫画は一種のスポ根ジャンル化します。