


「汚れた廃プラスチック」の輸出入を規制する条約改正案がスイスで開かれた国際会議で採択された。採択を主導した日本代表団のメンバーは、先進国が輸出した廃プラチックのリサイクルについて、アジアの途上国で何年も現地調査を繰り返してきた。
【写真】大量の廃プラスチックが散乱したまま放置されていたミン・カイ村
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スイスで開かれた、有害廃棄物の国境を越えた移動を規制するバーゼル条約の締約国会議。5月10日に「汚れた廃プラスチック」の輸出入を規制する条約の改正案が採択された瞬間、環境省大臣官房審議官の松澤裕さん(55)は議場で安堵の表情を浮かべた。松澤さんは日本代表団団長として、採択を主導した。
「今回の改正により、各国はプラスチックごみ対策のためのツールを得ました」
松澤さんが全体会議の最後にそうスピーチすると、各国の参加者から拍手が鳴り響いた。
この瞬間を、ひときわ感慨深く見守る人がいた。インドネシアのジャカルタにある東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA)のシニアエコノミスト、小島道一さん(53)だ。
「さまざまな種類の廃プラスチックが日本など先進国から中国や東南アジアに輸出され、野焼きされたり、不適正に投棄されたりする状況が続いてきました。途上国で汚染を引き起こす国際貿易を防止する措置が必要と考えていましたが、今回の採択はその一歩につながると期待しています」(小島さん)
2004年以降、研究者の立場でバーゼル条約の締約国会議に出席し、今回も日本代表団のアドバイザーとして同行した小島さんは、ライフワークとしてアジアのリサイクル問題に向き合ってきた。
関心を持ったきっかけは、1990年に台湾が廃鉛バッテリーの輸入を禁止したことだ。この措置は、日米などが台湾に輸出した車の廃バッテリーが、リサイクルの過程で鉛汚染を起こしたことが引き金になった。
台湾の措置を受け、先進各国はインドネシアなど規制の緩い国への輸出を急増させた。インドネシアでは92年、欧州などから来た廃プラスチックなどを積載したコンテナハウスが複数の港で引き取られず、置き去りにされる事件が起きた。