過激なルックスとは裏腹に、亮君の受け答えは丁寧そのもの。予想外に「いい人」だ。フランチャイズ化は5年以上温めていた企画で、当時は「またまた」と失笑されていたが、「いつか本気でやってやる」とタイミングを計っていたという。一見ふざけた企画でも、「本気」が現実を変えてきた。昨年、CDの書籍化に踏み切ったのは、音楽やCDへのこだわりを見せつけたかったからだ。
「今は音楽もサブスクリプション(月額定額制の聞き放題サービス)が主流ですよね。でも、僕はやりたくない。CDのジャケットとデザイン、歌詞カード、曲順などすべて含めてロックだと思うから。通信ではなく、現物のジャケットを見て『何これ』と興味を持ってほしい。書店で棚に並べられれば目立ちますよね。だから『麺カタ』は“書籍”としてパッケージにも徹底的にこだわった。CDをどうやったらジャケ買いしてもらえるかと考えた結果なんです」
今の日本では、テレビなどメディアの「コード」が厳しくなり、過激なことが、許容されづらくなっている。ホルモンも窮屈さを感じているのでは、と聞くと「時代の変化で、音楽を薄める必要性はまったく感じない」とその信念はゆるぎない。
亮君は、ステージで暴れ回るロックミュージシャンとしての姿がある一方で、バンドの販売戦略を綿密に練って実現させる冷静さも併せ持つ。「ミュージシャンは音楽だけで勝負しろ」という純粋さも求められるロック界で、自身の立ち位置に矛盾や葛藤はあるのだろうか。
「常に矛盾していますよ。それゆえ、音楽でも激しい部分とポップな部分が共存するし、常にある二面性が表現につながっている。僕ね、バンドを『仕事』と言われるとカチンとくるんです。ロックって、仕事以上に大切なものなんです。ビジネスじゃない。でもプロ意識は人一倍強いし、クオリティーには誰よりもこだわっている。だけど必死になるのは大嫌い。必死より必殺の真剣な遊び。天邪鬼な性格は死ぬまで変わらないです」
(編集部・作田裕史)
※AERA 2019年3月25日号