「沖縄を日本の中のアジアのフロントランナーに」と訴える玉城デニー知事。背後の屏風には、沖縄が「世界を結ぶ懸け橋」になる気概が記されている(撮影/大城弘明)
「沖縄を日本の中のアジアのフロントランナーに」と訴える玉城デニー知事。背後の屏風には、沖縄が「世界を結ぶ懸け橋」になる気概が記されている(撮影/大城弘明)
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辺野古沖では、県民投票後も土砂投入が続いている=2019年2月25日、沖縄県名護市 (c)朝日新聞社
辺野古沖では、県民投票後も土砂投入が続いている=2019年2月25日、沖縄県名護市 (c)朝日新聞社

 玉城デニー沖縄県知事がアエラの単独インタビューで、「辺野古見直し」に向けた展望を明らかにした。県民投票で7割が「反対」という結果を受けてなお辺野古沖の埋め立てを続ける政府に対し、玉城知事は1日に安倍晋三首相との面談で提案した新たな協議機関「SACO with沖縄」(SACWO)設置をどう実現し、計画見直しにこぎつけようとしているのか――。

【写真】辺野古沖では、県民投票後も土砂投入が続いている

 玉城知事が最初のステップと位置付けるのが、「辺野古」の工事停止だ。玉城知事は言う。

「SACO(沖縄における日米特別行動委員会、96年に普天間飛行場の代替施設を「沖縄本島東海岸沖」に建設することなどを最終報告)の点検と見直しをもう一度、日米両政府と沖縄県できちんと話し合う。そのことを日本政府が米政府に伝え、環境を整えることが今、最優先されなければいけない。そのためにまず、辺野古の工事を停止して静謐(せいひつ)な環境の中でお互いが本当に話し合える状況をつくることが肝要です」

 だがなぜ今、SACOの再点検なのか。背景には、SACOの原点と現状とのギャップがある。たとえば、普天間飛行場の返還交渉の当事者だった元防衛事務次官の秋山昌広氏は『AERA 2016年9月5日号』でこう吐露している。

「(普天間)返還合意発表後、米軍の在沖縄基地内への移転ということだったので、一生懸命に場所探しを始めました。ヘリポートとはいえ軍のヘリは滑空して飛ぶので、ある程度の滑走路は必要になります。日本側から提案した案の一つは、700~800メートルの滑走路でした。沖縄の既存米軍施設である嘉手納基地のほか、嘉手納弾薬庫近くやキャンプ・シュワブ内では700メートルぐらいのヘリポートなら収まるだろうと考えました」

「嘉手納基地への統合に全精力を注いでいたところに、ポンと海上施設という話が飛び込んできて、それまでの作業がいっぺんにひっくり返りました。海上施設が急に出てきた背景はよく分かりません。これに呼応する形で、日米の造船業界や海洋土木業者が活発に動き始め、実際に色々な案を防衛庁の私のところにも持ち込んできました。橋本(龍太郎・当時首相)さんがなぜこれに関心を持ったかは知りません」

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日米政府はSACO最終報告後に…