哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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沖縄で辺野古新基地建設の可否を問う県民投票が行われた。投票総数60万余のうち反対票が43万(72.15%)で、賛成票(19.10%)を圧倒した。
安倍首相は「投票の結果を真摯に受け止め、これからも基地負担軽減に向けて全力で取り組んで参ります」と語ったが、辺野古への土砂投入は投票翌日も続いた。
「基地負担軽減のために新基地を建設する」というのは没論理的な発言だが、首相の脳内では整合している。それは辺野古は「新基地」ではなくて、普天間の「代替基地」だとされているからである。移設によって、「新基地」周辺住民の負担は増大するが、「旧基地」周辺住民の負担は軽減される。差し引きで基地負担に苦しむ県民の絶対数は多少減るという理屈である。だから、「全力をあげて基地負担軽減に取り組む」は「全力をあげて辺野古に土砂を投入する」に帰結するのである。
こんな詭弁が成立するのは、今回の県民投票が「普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋め立てに対する賛否についての県民による投票」だったからである。文言が単に「国が計画している」であれば、首相のような詭弁は存立する余地がなかった。投票の正式名称のうちには「普天間飛行場の代替施設が建設されねばならない」という政治的判断が迂回的に忍び込ませてある。だから、「投票者たちはこの判断に同意した上で投票を行った」と強弁する余地が残されたのである。首相はそれを利用したのだ。
「代替施設」とか「移設」とかいう言葉は価値中立的なもののように見えるが、実際には政治的予断を含んだ危険な言葉である。この言葉を使う人たちは「現在普天間基地が担っている役割は地政学的に必須である」という判断に暗黙のうちに同意したとみなされる。だとすれば、仮に辺野古の新基地が「代替」の条件を満たさないと判断された場合(滑走路が短いとか地盤が脆弱だとか)、米軍には普天間を返還する義務を免ぜられ、日本政府には返還を要求する権利がなくなる。県民の反対で辺野古の基地建設が頓挫すれば、いずれ日本政府はそう言い出すだろうと私は思っている。
※AERA 2019年3月11日号