「自分が子どものとき、刑事ドラマからたくさんのワクワクをもらっていたので、そういう意味では演じていて高揚したのは確かです。それこそ小さい頃は『ごっこ』だったのが、本物の現場に立てるわけですから」
木村にとって理想の刑事像とはどのようなものなのだろう。
「『西部警察』とか『あぶない刑事』とか『古畑任三郎』とか、たくさんあるけど、どれもスタイルは違いますよね。でも、いつの時代も彼らに感化されて世の中が熱く盛り上がっていた部分はあると思う。自分もその熱の中にいられたのは良かった」
確かに、石原裕次郎や舘ひろし、柴田恭兵、田村正和、織田裕二、水谷豊と、時代を代表する名俳優たちによって、これまでに新しい刑事像が生み出されてきた。そして平成最後の年に木村がそのバトンを引き継ぎ、「木村ならではの刑事像」を提示してみせたのは、ある種必然にも感じられる。
映画の原作者の東野圭吾が、「小説を連載していたときから、新田を描くときは漠然と木村さんのことを思い浮かべていた」というのも、実に運命的な話だ。
「打ち上げの場で初めて聞いて、びっくりしたんですけど(笑)。映画の脚本にも東野さんが深くかかわってくれたことは知っていたので、撮影中は『親』の期待に応えられるような作品にしようと、とにかく必死でしたね」
一方で、そんな木村の熱意とは裏腹に、劇中の新田の潜入捜査は思うように進んでいかない。
ホテルのフロントクラークに扮する新田に、様々な無理難題を言う宿泊客たち。慣れない客対応と進展しない捜査に、新田は苛立ちを募らせる。さらに、客の安全を第一に考え捜査に口を出す山岸とも、衝突を繰り返すばかりだ。
「僕自身もせっかく刑事役がきたのに、作品の中ではホテルマンを演じなければならないことに、最初は戸惑いました。でもそれって、新田が感じているジレンマそのものなんですよね。それに気づいてからは、むしろ自然に気持ちを出していこうと」
今後、別の機会に改めて本格的な刑事役に挑戦したいという思いもあるのだろうか。