いかんいかん。当コラムの恒例ではあるが、思いついたまま何も考えずに書くのはやめよう。どんどん話が逸れてしまうではないか。
そういえば何も考えずに書いたんだよなあ、うんこ。
ちょ、うんこはいい。うんこの話はもういい。
もうなんの話を書いてたか忘れちゃったじゃないか。バカ。
先日、ある雑誌の取材を受けていて、話してるうちに思い出したことがある。
僕が20代の頃、ある演劇関係の雑誌で、僕の大好きな俳優である阿部寛さんが、こう言っていた。
「舞台の本番中は、あまり深く考え過ぎてもいけないからビール呑んで寝ちゃいますね」。
30年くらい昔の話なので、おそらく阿部さん自身は覚えてらっしゃらないと思うが、当時、俺という俳優を誰か見つけてくれ~と、焦りまくって考えまくっていた俺にとって、この阿部さんの発言は衝撃的で、かつ、その後の心の支えになった。
そうか。あまり深く考え過ぎなくていいんだ。
すごく当たり前のことなのに、現在もバカだが当時もっとバカだった俺は、その当たり前のことを阿部さんの言葉により、ようやく気づけたのだ。
だから毎晩呑んじゃうの、僕。
自分の飲酒の責任を阿部さんに押しつけてる場合ではない。
阿部さんの言葉は、単に「考え過ぎはダメ」というだけでなく、芝居には、共演者やスタッフ、さらにはお客さんも含め、板の上で「感じ」ればいいものもあり、あまり「考え」過ぎてはよくないよ、という意味も含んでると俺は読み取ったし、それに気づけたことで、多少なりともその後の俺の芝居に対する姿勢に変化をもたらしてくれた、俺にとって本当に感謝している珠玉の言葉だ。
だがどうやら、いま俺が感じる俺自身のヌルさは、「まだあるだろう」「俺が出してない俺が、まだあるだろう」と感じる俺自身のヌルさは、考え抜かねば出てこない気がする。開けきれないでいる自分の引き出しは、己で考え抜かねば開けきれないままな気がする。
もちろん、「開けきれないでいる自分の引き出し」は、自分以外の他人の方が開けやすいこともある。
事実、多くの恩人たちが、俺のその引き出しを開けてくれたから、今の俺がある。
しかし、他力を待っているだけではいけない。
だから。
あの時の阿部さんの言葉のように、考え過ぎず、現場で皆との繋がりの中で「感じ」ていくことをこれからも大切にしていきつつ、
俺自身のヌルさを打ち破るため、「考え」抜くこともやらねば、と決意を新たにしたのでありんす。