終演後、楽屋で言った。
「今日の手応えは中くらい。赤穂義士をよく知らない人でも、この話で安兵衛に興味を持ってくれて、好きになるきっかけになってくれれば」
会場が1千席を超すと、マイクの調整をしても、声の届き具合が心配になる。終演後のサイン会で、観客から「聞こえていた」と聞いてほっとする。
初心者の客が多い大ホールは大変だが、「これまで講談を聞いたことがない人が、講談を聞いたことがある人に変わる」快感がある。
「責任は重大。『なんだ、講談ってつまんねえな』じゃなくて、『なかなかおもしろい』と思ってほしいですからね」
彼が見据えているのは、未来の講談ファンだ。名人たちが築き受け継いできたものを、伝える役目があると任じている。
芸人を志したのは、高校を卒業した後の浪人時代だ。立川談志の高座に鳥肌が立つほどの衝撃を受け、さまざまな寄席に「芸を盗むつもりで」通った。
「イヤな客でしたよ。全然笑わないし、アンケートも書かない。もっとこうすればいいのに、俺だったらこうするのにと、心の中で文句ばかり言っていましたから」
落語、講談、浪曲と迷ったが、最終的に講談を選んだ。一番好きなのは、講談的な緻密な描写だと気づいたからだ。大学卒業後に講談界の重鎮、神田松鯉に入門した。
「講談は自分に向いている」「できる」と根拠のない自信があった。長い間聞きこんで耳に染みついていたからか、比較的スムーズに話も覚えた。
松鯉は若い弟子を、落語芸術協会に入れた。
「ぼくは日本講談協会だけでいいと思っていたんです。師匠が芸協入りを決めて、いいことが二つあるとおっしゃった。ひとつは高座が増えること。もうひとつは仲間が増えるということ」
講談師は若手も限られ、横のつながりはそれほど強くない。
「仲間が増えるということがいかに大切かは、あとからわかることだ」と言われた。言葉通り、後に実感することになる。
二ツ目昇進の翌年の2013年、落語芸術協会の同期10人とユニット「成金」を結成した。10人の落語家のなかにあって、講談師はただ一人。ジャンルは違えど切磋琢磨した。