しかし、いくらまちおこしに力を入れても、決まった人たちが動くだけでは何も変わらない。
「まだまだ一部の人だけがまちおこしに尽力している印象があります。全員が当事者、全員がプレーヤーにならなければ、本当のまちおこしにはならないと思います。北九州は田舎だからしょうがないとか、不満や文句を言うのなら、一人ひとりが動こうよ!と言いたい」
結婚する時、林田さんが友達からもらった言葉がある。
「隣の芝生が青く見えたら、自分の芝生に水をまけ」
これは自分自身のあり方だけでなく、家族との関係、まちおこしにも当てはまる言葉だ。
愛する北九州に戻り、育ててもらった家族や人、そしてまちのために何ができるのか。
日本酒と祇園太鼓を愛する新米ママは今日も小倉のまちを走り回っている。
●兵庫県姫路市→小倉南区
今年7月に北九州に転居したばかりの石坂さん一家は、兵庫県姫路市からのUターンをかなえた。もともと夫婦ともに北九州の出身。修平さん(29)が転勤のため兵庫県に住まいを移し、結婚を機に紗貴さん(30)も移り住んだ。Uターンを考え始めたのは、娘の日菜実ちゃん(2)が生まれた2年前だ。
「北九州は地元なので漠然といつかは戻りたいと考えていましたが、子どもが生まれてからは特に子育てのしにくさを感じるようになり、Uターンを強く意識するようになりました」と修平さんは言う。兵庫では大手企業に勤めてはいたが、夜勤がある工場勤務だったためなかなか子育てに参加できないつらさがあった。妻の紗貴さんも、
「実家も遠く、友人も少ない。いざという時に頼れる人がいないことの大変さが身に染みていました。夫は夜勤があり出勤も不規則でしたし、自分も働くなかほとんどひとりで子育てをするのは本当に大変でした」
と振り返る。
地元に戻りたいという話が出ても具体的な行動に移す機会はないまま日々を送っていたが、今年2月にたまたま修平さんが書店で目にした雑誌に、北九州市がUターンを支援しているという記事を見つけた。