一方で私は、こんな作文も目の当たりにしている。

「私は今で23歳。三十歳、七年後の自分は立派な社会人になることを目標している」

「講演を聞いて、神山さんの体験に感動された。(中略)自分が体験したことを文字で巧みな組み合わせによって、美しい景色や筆者の気持ちも読者に伝えられる」

 これらは日本語習得中の留学生の文章ではない。都内の某大学で行った「キャリア講座」の受講生、日本人学生3、4年生の文章だ。一読して違和感がある。主語、述語がねじれている。この文章力のままで社会に出て大丈夫なのか? 不安に思うのは私だけではないはずだ。

 中学校教員採用者数の私大日本一を誇る文教大学教授で、「日本作文の会」で長く常任委員を務めた太郎良信(たろう・らしん)さんは言う。

「大学生の文章力は近年ひどく落ちています。卒論のテーマについてだけでなく書き方も教えないといけない。作文教育の軽視がこの結果に出ています」

 太郎良さんによると、文部科学省の作文教育に対する方針に大きな変化があったのは1989年だった。

「授業が成立しにくくなったせいか、作文も100~400文字で書いたり、言葉遊びのような短作文を書いたりするカリキュラムが推奨されました」

 やがて98年には学習指導要領から「作文」という用語が消えた。以降、学校では国語の授業で「作文」や「読書感想文」の書き方を教わることは稀。残ったのは、遠足や運動会の感想作文や、夏休みの読書感想文を書かせられるだけという現状だ。

 日本作文の会では、毎年夏休みに全国大会を開いている。ここには戦前から続く「生活綴り方」の流れをくむ、作文教育に熱心な教師が集まってくる。けれど現役教師からは嘆息が漏れるばかりだ。

「もはや作文教育は風前のともしびです。会議や職員室での雑事に追われて、とても作文まで手が回らない」「自然観察という単元で文章を書かせることはありますが、書く技術を教える時間はありません」

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