見張り役は歯磨きや手洗いのタイミング、会話の応答に至るまで細かなルールを設定し、安田さんの行動をことごとく縛った。見せしめに他の捕虜を拷問して叫び声を聞かせたり、食事を粗末にしたりするペナルティーを科し、解放も遠のくという絶望感を与える精神的な支配だ。安田さんはそれを、あえて「ゲーム」と呼んだ。
「このまま永遠に拘束され続けるのかもしれない。無期懲役の恐怖との闘いでした」
そして今年3月、安田さんは20日間のハンガーストライキを行う。1メートル×2メートルの狭い部屋に拘禁され、「身動きをするな」というルールを課されたときのことだ。
「死ぬ寸前になれば身動きできない。そうすればお前たちの要求通りなのだから、俺を(日本に)帰すんだろうな」
そんな気迫と抗議の意思を示すためだったが、体調は極度に悪化した。皮膚はかさかさで弾力がなくなり、指でつまんでも元に戻らなくなった。仰向けになると腹が落ち込みひどい吐き気を催すため、ずっと横を向いて寝た。礼拝のために立ち上がると目まいがして倒れた。白髪が一気に増えた。
「もう帰してやるから、とにかく食え」
拘束グループのリーダーにそう諭され、絶食をやめた3月末、「20日もしないうちに解放する」と約束され、5階建ての大きな収容施設から、ウイグル人が運営する小規模な施設に移された。
だが「ゲーム」と監禁はなお延々と続いた。精神的に限界だった安田さんは、ついに「爆発」した。
きっかけをつくったのは、同室となった元シリア軍兵士だ。
「もう、頭にきて、そいつをボコボコ蹴っ飛ばした。毎日毎日、あまりにもどうでもいいことをルール違反だと告げ口されていたから。見張り役に『こいつを殺す。これ以上こいつをここに入れておくなら、もう無理だから俺はこいつのこと、殺す』って」
自らの生死にも言及する思い切った駆け引きに出た。
「もし俺がこいつを殺したら、お前らは俺を殺すのか、と見張り役に言いました。アサド政権の兵士を殺せばそれはジハードだから、その結果殺されれば俺は天国に行ける。だから全然問題ない、俺を殺せって」
この後、その兵士は別の部屋に移された。(聞き手/編集部・渡辺豪)
※AERA 2018年11月19日号より抜粋