十八代目・中村勘三郎が亡くなって6年。偉大な父に、勘九郎と七之助は「僕たち兄弟は重度の父親コンプレックスですから」と笑う。今月から歌舞伎座で始まり、そして11月に平成中村座で開かれる、亡き父への追善公演への思いを語った。
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勘九郎:この10月は歌舞伎座、11月は平成中村座で父(十八世中村勘三郎)の追善公演をさせていただくことは、本当に嬉しいです。歌舞伎座は歌舞伎俳優にとっての聖地、そして平成中村座は父にとっての聖地ですから。僕たちとしては七回忌の追善を平成中村座でできるだけでもありがたいと思っていましたが、松竹から「歌舞伎座でも」とおっしゃっていただきました。
七之助:松竹の安孫子正副社長が記者会見のときに、「中村屋さん(十八世勘三郎)は歌舞伎座の大舞台を背負う一方で、平成中村座を作り上げた方ですので、両方で追善公演を行うことが功績に応えること」とおっしゃってくださったのは嬉しかったですね。どちらの月も古典あり、舞踊ありで、楽しんでいただけると思います。
勘九郎:父はずいぶん新作歌舞伎に取り組みましたが、それ以上に古典歌舞伎を愛していました。僕たちに課せられているのは、まずはきちんと古典を受け継ぐことだと思うので、しっかりやっていきます。
今回の公演では、祖父(十七世中村勘三郎)や父のゆかりの演目が中心。諸先輩方が共演してくださったり、役をご指導くださったりして、本当にありがたいです。「佐倉義民伝」は、暴政に苦しむ人々のために木内宗吾が将軍徳川家綱に直訴したという伝説を脚色したもの。
僕が演じる家綱は、祖父が宗吾を演じた時は、名優として知られる六世中村歌右衛門のおじさまがなさったお役です。それを思うと、身が引き締まります。父が宗吾を演じたときは、(坂東)玉三郎のおじさまがなさったし。
「仮名手本忠臣蔵」の「七段目」では僕が寺岡平右衛門、七之助は妹のおかる。これまで2回共演したけど、まわりの人たちが「ぴったり合うねえ」と言ってくださった役なんです。