彼女にとって、手放しで尊敬し、好きになった初めての人。授業中、自分の様子を見てくれるのを密かに喜んだ。
「ひとクラス30人くらいいたんですけど、『私のノート見てコメントしてくれた』とか、小さな関わりがうれしかった」(同)
予備校文化全盛の1980年代には、個性豊かなカリスマ講師が大活躍した。金ピカ先生、マドンナ、暴走族出身……。教室の机の前列には講師への贈り物が並び、心酔するあまり浪人を繰り返して全授業を取り続ける猛者まで出たという。高校時代、大手予備校に通った不動産業の男性(50)は、「元全共闘議長の山本義隆が物理を教えていた。淡々とした佇(たたず)まいがカリスマ性を醸しだし、畏敬の念を集めていた」と振り返る。
講師たちは、その科目のエキスパートでありながら、自ら「社会不適合者」を任じ、挫折の影を隠さない。その彼らが自分たちに目を配り、押しつけがましくなく、手を差し伸べている。
塾の講師に多大な影響を受けながら、「塾の先生になりたいと思ったことはない」というのは、会社員男性(31)だ。高校卒業後、1年間アルバイトして学費を貯めて通った小さな塾で、その英語講師は際立って見えた。
「難関大学に行く人間は世の中の数%。その数%に入りたいなら、とことん努力しろ。甘っちょろいこと言うな」
講師の弁に「目から鱗が落ちた」。自分が苦学生と知っていて、可愛がってもらったと思う。今の仕事に全力で取り組むのも、「やるなら全力でやれ」という彼の教えがあるからだ。
「あんな風に闘い抜く自信はぼくにはない。あの人たちは上司がいないから自由だし、若い人に何かしら与えて『おまえらの人生変えてやるぜ』という思いが強いんだと思う。林修さんの『今でしょ』も、その表れじゃないかな」(男性)
キラキラの成功者ではない。頭は抜群によくて人間くさい彼らがいたから、人生が変わった。予備校や塾の講師たちは、若い心に爪痕を残す、アウトロー・ヒーローなのだ。(編集部・熊澤志保)
※AERA 2018年9月24日号