2006年夏、夏の高校野球。早稲田実業と3連覇を狙う駒大苫小牧の決勝は引き分け再試合に。田中将大との投げ合いは、今なお語り継がれている。
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「初めて甲子園のマウンドに立ったときは、小さいころからの夢、プロ野球選手を目指すための土俵に、ようやく上がれたなと感じました。そしてあの夏を経て、夢が現実的なものになった。僕の人生の分岐点でした」
斎藤佑樹投手(30)はそう振り返る。2006年夏、第88回の甲子園大会。早稲田実業(西東京)のエースとして1回戦から実質一人で投げ通し、3連覇を狙う駒大苫小牧(南北海道)との決勝は引き分け再試合に。田中将大投手(現ニューヨーク・ヤンキース)との投げ合いに勝ち、彼はヒーローになった。1大会で投げた69イニング・948球はいまも最多記録として残る。
近年何かと話題になるのが、球児の登板過多問題だ。甲子園で1千球近くを投げた斎藤投手もプロ入り後、肩を故障したが、因果関係はわからないし、悔いも一切ないという。
「僕は優勝できたし、いいことしかなかった。あれだけ投げられたことに感謝しています。仮に、あのときで野球人生が終わったとしても、それはそれで財産になったと思います」
野球以外の部分でも注目を集めた。ハンカチで汗をぬぐう姿とさわやかな容姿から「ハンカチ王子」という呼び名が付き、マスコミが殺到した。
「当時はやはり、野球以外でフォーカスされるのは本意ではありませんでした」
いまでは、それもいい思い出だという。
「大学・プロへと進む際にあれだけ注目されるのは想定外でした。僕は甲子園で人生が変わった人間です。あの夏があったから、今も野球ができている。期待してもらいながら思うように結果を残せていない悔しさが、いまの僕を突き動かしています」
このままでは終われない、と本人が振り返るように、プロでの成績は決して華々しいものではない。高校卒業後、早稲田大学を経て2011年、北海道日本ハムファイターズに入団。ドラフトでは4球団が競合する鳴り物入りでのデビューだったが、これまで(18年7月19日現在)、1軍通算15 勝にとどまる。先日は、週刊誌で「キャスター転身か?」と報じられた。