アメリカでトレーニングしてたときは住む場所と食事代を与えられてましたが、「その額じゃ、日本では生活できない」と言っても、オーナーは「(出すのは)今までどおり」と、相手にしてくれませんでした。
僕は「辞める」と言って、その日のうちに皆を集め、こう話しました。
「チームを作ることができたし、私は辞めるけど、あとは自由にして」
当時、有名になったのに生活はみじめで、何年もつかな?と思ってましたから、ボンバーズがなくなったとき、やっぱり、と思いましたし、後に自分自身も興行の難しさを知って、あの組織では、まともな給料を払いたくても払えなかっただろうな、とも思いました。
今でも、あのとき辞めて良かった、と思ってます。ローラーゲームを追い求めてチーム結成に尽力できたし、その過程でハワイで暮らしたり、いろいろ経験できて、誰よりも青春したな、とね。
(ノンフィクションライター・渡辺勘郎)
※週刊朝日 2023年3月3日号