見る側は「真剣にじっくり見ない」を前提にしているので、作り手側も視聴者の無意識に訴えることでこれを凌ぐ。結果どうなるかというと、子どもか、動物か、グルメか、うわさ話に行き着く。
我々は真剣に見ないまま「テレビを眺めている」のである。そして気になることがあると、通りすがりにSNSで正論や暴論を吐き出し→浄化→眠りに就く。「そんなことなら見てもらわなくていい!」と作り手が言うかというとそれもない。
そして、見る側も自分の「なんとなく」という無意識を奪われるのはなんか寂しいから、なんとなくスイッチを入れ、スリープ機能でいつの間にかスイッチが切れているという状態。正力松太郎や、力道山がこれを見たらどう思うだろうか。
モリカケ問題も、日大タックル問題も、テレビを通して見ている以上そこに問題意識はない。ただの興味本位だ。でも、いい加減に見るテレビほど楽なものはない。
※AERA 2018年7月2日号