
自腹で銀座の店で飲み歩く人なんてはほとんどいなかったんじゃないかな。その型にはまった横綱像みたいなのを輪島関はキレイに今風に改めてくれたよね。場所中は京王ホテルに泊まったり、いい店で飲み食いしたり、悪いことではないんだよ。
ただ、その振る舞いに最初は俺たちも戸惑ったね。「横綱がこんなことしていいの!?」って。それに輪島関は花籠部屋で、近くには母校の日大相撲部があったから、学生を連れて遊んだりもしていた。そっちの方が気楽だったんだろうね。学生をぞろぞろ連れて批判もされたけど、花籠親方も何も言っていなかったようだし、そういう指導方針だったんだろうね。それから横綱像が変わっていったと思う。
北の富士さんがゴルフをやったり、玉乃島さんがボウリングやったりと、徐々に横綱像が変化してきたけど、まだ大将と呼ばれていた時代だ。そんな中での輪島関の振る舞いは、豪快だけど大将っていう感じじゃなかったよね。
相撲界最後の大将は、強いて挙げるとすれば北の湖かな。彼は北の富士さんのような雰囲気を醸し出していたし、北の湖の名前を出したら、千代の富士も出さないとね。彼も2人に共通する雰囲気があったよ。彼らは俺が見た中で「俺が横綱だ」って、自分自身を戒めている人たちの最後かな。
ただし、朝青龍や白鵬、稀勢の里といった世代の力士は面識がなく、人となりも分からないから、あくまでも“俺が見てきた”中ではの話だ。意外と彼らも大将然としていたかもしれないね。
プロレスで大将といえば、俺の場合はやっぱりジャイアント馬場さんになるんだけど、これが大鵬さんとはまったくタイプが違うんだよね。馬場さんはアメリカでトップをとって、生き抜いて、金を残したという自信が常にあったね。「俺はアメリカでは、どのサーキットでもメインを張っていたんだ」という強烈な自負が馬場さんの人間像を作ったんだと思う。
大鵬さんのような大将は、親のように下の者の面倒を見る親分だ。昔の任侠(にんきょう)の親分タイプで、飯を食いに行くぞとなると、付け人を20人も連れて「食え、食え! 飲め、飲め!」と腹いっぱい食わせてやる、そんなタイプ。