馬場さんはアメリカのビジネススタイルが身についているから、下の者に対してそんなことはしなかった。一方の俺は相撲で育ったから、若い連中に「上に行くとこんなことができるんだ」と見せたかったのもあって、下の奴に飯を食わせたり酒を飲ませたりしたもんだ。ずいぶん金を使ったが、俺は大将らしい振る舞いをしたと思っている。

 それが女房に言わせると「うちは娘が一人しかないないのに、家族が7~8人もいるような金を使い方をして大変だよ! 本当にバカなことをしているね!」なんだけど(苦笑)。俺が大将として振る舞う裏では、女房が一番苦労していたんじゃないかな……。

 つまり、いい大将の陰には内助の功があるんだよ。俺が自分の女房以外に本当にそう思うのは、勝新太郎さんを支えた中村玉緒さんだ。辛抱強く、ちゃんと辻褄(つじつま)を合わせて、勝さんの地位を落とさず、ずっと超一流のままで、最期まで看取ったからね。ほんわかした方なのに、あの破天荒な勝さんをフォローできるなんて本当にすごい。並みの人では絶対にできないよ。

 最後に、もう一人大将を挙げるとすれば、銀座の「鮨處おざわ」の大将、小澤論だ。小澤と俺は同い年で、楽ちゃん(六代目三遊亭楽太郎)たちと一緒に飲み歩いた仲間。相撲時代から仲良くしている白田山の谷川親方に、小澤の店に連れて行ってもらったことがきっかけで知り合ったんだ。

 盛り付けや酢飯の具合が俺にぴったりで、本当に旨いと思った寿司がここだったんだよね。それに当時は30歳を少し過ぎたくらいだったんだけど、同い年の人が銀座の一等地に店を持っているんだから驚いたよ。

 小澤は中学を出てから、たしか東京都三鷹市にあった店に丁稚奉公で入って、それから身を立てたという男だ。それから、谷川親方が場所中で忙しいときも俺は一人で小澤の店に足を運んで、店が終わるころになると「天龍さん、クラブに行こうよ」なんて言ってきて、銀座で一緒に飲むようになったんだ。

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