人気コラムニスト・ジェーン・スーさんが『生きるとか死ぬとか父親とか』を上梓。今回選んだテーマは、自身の家族のこと。母の死、父と娘、移ろいゆく東京。描かれるのは、ある家族の肖像だ。
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24歳の時に、母を病気で亡くした。一人娘のジェーン・スーさんには、母の人生を本人の口から聞けなかった後悔が残った。家族は「個性的」の言葉では括りきれない父だけになった。
「父のことを知るラストチャンスかもしれない」。腰を据えて父の来し方と向き合った本書からは、戦後復興、高度経済成長、バブル崩壊を経て平成へと紡がれる、家族の肖像が見えてくる。
とはいえ湿度は低い。父の在りようが、全編にカラリとした風を吹かせる。スーさんは話す。
「センチメンタルなことが苦手なんですよ。自分の情緒の羊水に浮かぶようなことが、こっぱずかしい。父も私も」
静岡・沼津大空襲を経験し、復興期はアルバイト先のユダヤ人社長に貿易を学び、二十歳前に結核で肋骨4本と肺の一部を欠いた父は、十二分のバイタリティーを身にまとう。齢80にして似合ってしまう赤のブルゾン。
お父様、カッコいいですよね。
「愛嬌です。愛嬌でこの男はすべてを乗り越えてきたなっていう」。スーさんは笑って続けた。
「それが肉親だった時の地獄」
母は、時折暴走する夫を制御し、娘を明るさで包んだ、美しく聡明な人だった。
精神的な支柱をなくした父と娘の間に、緩衝材はない。「ガラスのコップがカツカツと音を立てるような」会話。「この家にはお父さんはいなくて、年の離れたお兄ちゃんとあなただけなのよ」と母は生前よく冗談を言った。二人になった家族は、否応なしに対峙し、時に激しくぶつかりながら、適度な距離と関係を探っていく。「禍福はあざなえる縄の如しというが、親子は愛と憎をあざなった縄のようだ」とスーさんは書いている。
「母が亡くなって、もっと『父親』をやってくれると思ったんですけどね。父はそれより個々人として確立しようや、というスタンス。世間一般で言うところの父親らしさみたいなものとは全く相反してますね」