

哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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「なぜ米国にマルクス主義は根づかなかったのか?」についての個人的な仮説の続き。1850年代にカール・マルクスは米国に広範な読者と支持者を持っていた。南北戦争前、「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」の読者はマルクスの政治経済分析を熟読し、彼を通じて世界情勢を理解することができた。バクーニン派との激烈な内部闘争の後、1873年に第一インターナショナルは本部をニューヨークに移す。信じがたいことだが、その時点では、社会主義の未来は米国が担うと思われていたのである。
だが、現実はそうならなかった。第1の理由は83年にマルクスが没して、マルクスの眼を通して今ここにある現実を解釈するという「知的特権」を同時代の読者たちが失ったことである。第2の理由はまさにマルクスの死と同時に米国が狂乱の「金ぴか時代」に突入したことである。大陸横断鉄道が開通し、西部開拓めざして移民が殺到し、テキサスで石油が噴き出し、鉄道王、鉄鋼王、石油王などと異称される大富豪たちが続出した。資本家たちは議員も司法官も札びらで買い上げ、統治機構は腐敗し切った。だが、米国の労働者たちはこの事態に対して組織的な抵抗も深みのある思想的批判もなし得なかった。ロシア革命後、コミンテルンの指示で米国共産党が結党されてからも、マルクスの衣鉢を継ぐだけの知力を具(そな)えた指導者はついに左翼からは出なかった。
米国のマルクス主義にとってのさらなる不幸は、ロシア革命の報に怯えた司法長官パーマーが「暴力革命が近い」という妄想にとらわれて、左翼の大弾圧に踏み切ったことである。これで米国の左翼運動は大打撃を受けたのだが、この時、「左翼狩り」で異能を発揮したフーヴァーという名の青年が以後半世紀にわたってFBI長官の座にあったことも、米国のマルクス主義にとってはまことに不幸なことだった。
米国にマルクス主義が土着しなかった理由は他にいくつも挙げられるが、「金ぴか時代」以後の米国のプロレタリアの相当数が階級闘争より「アメリカンドリーム」にチャンスがあると信じたというのは世界でこの国だけで起きた椿事であろう。
※AERA 2018年4月30日-5月7日合併号