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理不尽な言動で周囲を振り回す他人に、心を乱されることはないだろうか。そんな“アホ”との付き合い方を伝授した書籍『頭に来てもアホとは戦うな!』(田村耕太郎 著)が、シリーズ80万部を突破した。

人間関係の悩みに振り回されず、主体的に生きるために必要な心構えとは?同書から一部を抜粋して解説する。

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他人の人生を生きていないか? 社会で生きていく上で、人間関係の悩みはつきものだ。なぜなら、人は多かれ少なかれ、他者の評価や他人にどう思われているかが気になるからだと思う。

私自身も、政治家時代は常に他者の目を意識した。自分が有権者にどう見られているのか?党の中で、派閥の中でどういう評価なのか?選挙区での評判はどうなのか?そのような、自分を客観的に冷静に見る視点を失ってしまっては政治家はできない。他人様の投票行動によって首がつながっているだけの究極の非正規雇用なので、他者の視線は意識しないといけない。

このように人間は一人では生きていけないので、いろんな人とうまく連携するためには自分の立ち位置を客観的に確認する必要がある。だからといって他者の視線に振り回されてはいけない。あくまで自分が主役でないと、どんな仕事であろうと結果は出せない。

「他人から見た自分を意識する」ことと「他人から見た自分を妄想してそれに振り回される」ことは全く別である。前者はあくまで本人が主役。後者は他人が主役で、振り回される本人は主体性を失っている。

また目的遂行のためには、どんなに滑稽であっても馬鹿にされても、他人の目を気にすることなく行動に移すことが重要な場面がある。例として政治家の土下座や選挙時の涙を挙げたい。政治家時代、私はこれができなかった。「国民のために働くのに、なぜ国民に頭を下げないといけないのだ」と青臭く思っていたのだ。しかし、某先輩政治家は違った。

他者(支援者)を意識して頭を下げているが、彼は心の中では頭は下げていないのだ。心の中で下げていない自信があるから平気で頭を下げられるのだ。主体はあくまで自分であり、他者の目に振り回されていないからこそできる芸当だ。

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他人の視線に振り回されていいのだろうか?