「出っ歯の金日成の出迎えはないのか?」
しかしこの後、中国が100万人規模の「義勇軍」を投入する形で本格介入し、米軍は38度線付近まで撤退。この時、マッカーサーは中国に対する原爆攻撃を主張し、51年4月、トルーマンに司令官を解任された。53年の休戦協定締結までに朝鮮半島では400万人以上ともいわれる犠牲者が出た。
こうしたマッカーサーの楽観や誤算の背景には「ポピュリズム」の弊害がある、と林氏は指摘する。米国民の人気があり、名誉や英雄的振る舞いにこだわり、次期大統領への野心もあったマッカーサーに対し、側近の部下も適切な進言ができなかったとされる。
「マッカーサーは軍事のプロだったかもしれませんが、軍事力を政治と結び付けてどう運用するかという能力やセンスに欠けていた。軍人は戦場で勝利することしか頭にない。戦場での勝利は一時的には国民の熱狂的な支持を集めますが、戦争を始めるのであれば明確な政治目標と戦後の展望がなければならず、そのためにはシビリアンコントロール(文民統制)がいかに大事かを示しています」(林氏)
とはいえ、第2次世界大戦後の世界秩序を主導した米国は、シビリアンコントロールを重視してきたものの、「ゴールが見えない戦争」を繰り返してきたのもまた事実だ。「共産主義ドミノの阻止」という大義名分の方向性を見失った末に、米国が敗れたベトナム戦争(65~75年)しかり。「大量破壊兵器の脅威」を取り除く名目で2003年に開戦したが、脅威となる兵器は見つからないままイラクを内戦状態に導いたイラク戦争もしかり、だ。
ベトナム戦争では「枯れ葉剤」、イラクでは「空爆」など、米軍は物量にものを言わせて短期終結を図る作戦を好んだ。だがそうした「楽観」は往々にして外れている。林氏は言う。
「クラウゼヴィッツは著書『戦争論』で『戦争とは政治の延長』と規定していますが、米国が戦争に踏み切る場合、大抵は保安官の役割、つまり悪者=犯人を逮捕するまでが目的なんです」
長い視野で政治的にものを考えられない点では「テロとの戦いが典型」とも林氏は指摘する。01年に米同時多発テロが起きた際、ブッシュ大統領は間髪をいれずに「対テロ戦争」を宣言。それまでは「犯罪者」だったテロリストを、戦争の相手に位置付けた。「戦争とは政治の延長」というクラウゼヴィッツの定義に沿えば、テロリストは政治的存在である、とお墨付きを与えたことになる。