二度あることは三度ある。だが繰り返しちゃいけないものがある。人間が殺し合う戦争なら言語道断だ。ところが人間は、同じ過ちを繰り返しているようだ。
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「米国が責任を持つのは、フィリピン─沖縄─日本─アリューシャン列島をつなぐ防衛ラインである」
1950年1月、ワシントンD.C.で行われた「アチソン演説」の一節だ。
アチソン米国務長官は共産主義を封じ込めるため、このラインを越えて東に進出すれば米国が軍事力で阻止するという「不後退防衛線」を打ち出した。だが朝鮮半島がこの外側に置かれたことが、北朝鮮に「米国は朝鮮半島に介入しない」と解釈させる余地を生んだ。半年後、北朝鮮は突如として韓国に侵入、3日後にソウルを占領する。
このアチソン演説の「誤ったメッセージ」が朝鮮戦争を誘発した、というのが現代史の定説となっている。だが防衛省防衛研究所の元戦史部長の林吉永氏は、この前段階の「米陸軍の朝鮮半島撤退」という軍事戦略上のミスに着目する。
「朝鮮戦争という誤算を招いたのは、現地米軍を統括し、絶大な権限を保持していた極東軍最高司令官のマッカーサーが『愚将』だった、ということが最大要因です」
どういうことか。
朝鮮半島や日本を含む極東米軍を統括していたマッカーサーは、占領下の日本統治に専念していた。一方で45年8月に着任して以降、朝鮮戦争勃発までに朝鮮半島に足を運んだのはわずか1回。こうした「朝鮮半島軽視」とも取れる情勢判断が作用し、米国は48年に韓国撤退を決めた、と林氏は指摘するのだ。
「この時期のスターリン(ソ連)、毛沢東(中国)、金日成(北朝鮮)は、朝鮮戦争を引き起こす前提として米軍の出方をうかがっていました。結果として米軍撤退が彼らの決心を後押しすることになりました」
同じ時期、米本国のトルーマン大統領の下にはこうした実情を捉えた報告ももたらされていた。このため、朝鮮戦争の国連軍最高司令官にマッカーサーを指名した後も、トルーマンは中国やソ連の介入を常に警戒していた。が、マッカーサーは根拠もなく「中国の介入はない」と判断し、北進を続ける。そして50年10月20日に平壌を制圧したマッカーサーは平壌の空港に降り立ち、こう言った。