半藤一利(はんどう・かずとし)/1930年、東京都生まれ。53年に文藝春秋社に入り、月刊誌「文藝春秋」編集長などを務める。『幕末史』『賊軍の昭和史』(共著)など著書多数 (c)朝日新聞社
半藤一利(はんどう・かずとし)/1930年、東京都生まれ。53年に文藝春秋社に入り、月刊誌「文藝春秋」編集長などを務める。『幕末史』『賊軍の昭和史』(共著)など著書多数 (c)朝日新聞社
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「明治維新150年」を迎えた今年、そこから得るべき教訓とは何か。『日本のいちばん長い日』『幕末史』などの著書で知られる作家・半藤一利さんが語る。

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 歴史というのは、勝ったほうが自分を正当化するために改竄(かいざん)することが多い。「明治維新」はまさにそうでした。

 私は昭和5(1930)年に東京の向島に生まれました。小学校では皇国史観、つまり薩長史観によって近代日本の成立をみっちり仕込まれます。ところが大人になっていろいろ調べるうちに、明治維新とは薩摩と長州が武力で政権を奪った一種の「暴力革命」で、「維新」という言葉を使い、自分たちを正当化し歴史をつくっているとわかったのです。薩長史観がこの国を亡国に導いたんじゃないか、と。

 実際、日清・日露戦争、そしてそれに続く太平洋戦争を始めたのも薩長閥の連中です。

 日本は戦争に負けるまで「公侯伯子男」という爵位による身分制度がはっきりしていました。華族となった人たちですね。出身地別に見ると、歴然とした差があります。長州は75人、薩摩は71人と圧倒的に多く、会津は男爵になったのが5人いるだけで、わが先祖は長岡藩(新潟県長岡市)の出身ですが、ここからは男爵が一人、前島密(ひそか)が出ただけです。

 賊軍藩の出身だと、薩長閥によって非主流派に追いやられ、官僚としても出世できません。官途(かんと)に就いて名を成した賊軍出身者はほとんどいません。総理大臣なんて旧盛岡藩出身の原敬が出るまで、賊軍出身者は一人もいません。ほとんど長州と薩摩出身者で占められていますよ。

 ところが、亡国の一歩手前でこの国を救ったのは賊軍の人たちばかりでした。ポツダム宣言の受諾を決め昭和の戦争を終結させた首相の鈴木貫太郎です。貫太郎さんは関宿(せきやど)藩、今の千葉県野田市の出身で、賊軍でした。貫太郎さんだけでなく、日独伊三国同盟に反対し戦争終結にも尽力した海軍大臣の米内光政(よないみつまさ)さんや、最後の海軍大将の井上成美(しげよし)さんも賊軍出身でした。

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