「次世代に記録を残すためにも、御社が主体で動かなきゃだめです」
こうして、東電が西澤さんに全面協力して仕事を発注する形で、撮影許可が下りた。14年7月、西澤さんは初めて廃炉の現場に足を踏み入れた。
「作業をしている人を撮りたいと思ったんです。人間を。構造物だけ撮っても写真を見た人に感情移入してもらえないじゃないですか」
望遠レンズは使わない。16~35ミリと24~70ミリのレンズを取り付けた2台のカメラを駆使する。望遠レンズだと傍観者の視点になる。広角レンズで近寄って撮るから、迫力が出てくるという。
最初のころは1カ月に1度、構内に入った。まだ高線量下で、撮影は困難を極めた。顔全体を覆う全面マスクと頭までかぶる防護服を身にまとい、カメラも放射性物質がつかないようビニール袋に入れた。ファインダーもうまく覗けなかった。
もちろん現場もピリピリしていた。作業員から睨まれ「何、撮っているんだ」と怒られたこともある。東電の広報担当者が常に付いていてくれたが、危険と隣り合わせの現場にいると感じたという。
今は2カ月に1度のペースで原発に入る。構内の線量はずいぶん下がり、使い捨て防護服が必要ない「一般服」で動けるエリアが増え、食堂が入った大型休憩所もできるなど作業環境の整備が進んだ。最近の撮影は、
「楽勝ですね」
と笑う。
こうして昨年9月までに計28回、廃炉の現場に入り、あわせて1万2千枚近くを撮影。写真集に使ったのはそのうち約150枚で、日付順に並べた。
上半分が爆発で吹き飛んだままの状態の3号機、免震重要棟の階段に飾られた折り鶴、3号機の燃料取り出し用カバーの吊り上げ作業、増設される固体廃棄物貯蔵庫……。廃炉の現場をこれだけの至近距離で、しかも継続して撮った写真集は初めてだという。
立ち入り禁止の扉の向こうには、今の日本がある。未曽有の震災と事故から7年が経ち、記憶も風化し、不安に襲われ漂流する日本が。