カラカウア大王
選挙で選ばれた7代目の国王。アメリカがハワイの経済や政治への影響力を持ちはじめたことからアジアと手を組もうと考えたが、志半ばで死去。ハワイの伝統文化を愛し、ハワイの創世神話を自ら出版したが、「税金の無駄遣い」などという意見もあったという。ユーモアにあふれた人だったとされる。
カピオラ王妃
カラカウア大王の妻。「Kulia I Ka Nu’u(最善を尽くす)」をモットーとし、ハワイの女性のためにカピオラニ産院を建設。ハンセン病患者のために寄付金を集めるなど福祉に貢献した。56歳で夫を亡くし、ワイキキの別荘で64年の生涯を閉じた。慈悲の心にあふれた母のように穏やかな人だったとされる。
リリウオカラニ女王
王政復古主義を掲げた第8代女王。カラカウア大王の妹。新憲法を発布しようと試みたが、一部の大臣の同意を得られず退位を迫られる。王政が廃止され、ハワイが共和国となった後は王政復古を求める反乱の首謀者として逮捕され、イオラニ宮殿に幽閉された。女王廃位後も人々の敬愛を受け、ハワイを代表する曲として今も広く愛される「アロハ・オエ」を作詞・作曲したことでも知られる。
カイウラニ王女
ハワイ王朝最後の王位継承者。カラカウア大王の姪。スコットランド人の父を持つ。カラカウア王の命で13歳のときにイギリスのボーディングスクールに留学したが、1890年代半ばには王朝の崩壊を知って渡米。ハワイ王国の復興を訴えた。1897年に帰国し、ハワイ併合後の1899年、23歳の若さで死去した。
(構成 生活・文化編集部 永井優希)