初めての五輪で堂々の銀メダルを獲得した宇野昌磨。日本フィギュアスケート界の弟分がやってくれた。絶対王者を脅かすほどの演技はもちろんだが、メダル獲得後に見せた「天然ぶり」でも、多くの人を笑顔にした。
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平昌五輪で銀メダルを獲得した翌日の記者会見。宇野昌磨(20)の天然な性格を象徴するような一幕があった。質疑応答中にウトウトして、ハッと気づくと思わず苦笑い。平昌はあくまでも一つの試合という位置づけだったから、緊張することなくいつも通りの演技ができた。
「最後まで、五輪に特別なものは感じなかった」
と言ってのけるのだからすごい。強心臓でつかんだ銀メダルだった。
5歳の時、遊びに行ったリンクで浅田真央に誘われてフィギュアスケートを始めた。天性のセンスとたゆまぬ努力。小さい頃は朝から晩までリンクにいて、毎日泣きながら練習した。男子のトップスケーターには必須のトリプルアクセル(3回転半)は、5年がかりで習得。1日数十回跳ぶのですら大変なジャンプを、100回跳んだ。
●表彰台に立っても涙
根っからの負けず嫌い。トランプ、ゲーム、スポーツ……。負ければ敗因を分析し、次にどうやって勝つかをひたすら研究した。四つ下の弟・樹さんは言う。
「テニスで戦った時、最初は僕のほうがうまかった。でも、次に対戦した時は、サーブも、スピードもレベルが上がっていて、見違えるようになっていた。それはゲームや遊びでも同じ」
勝負には徹底的にこだわる。小学6年で初出場した2009年の全日本ジュニア選手権で3位。優勝した羽生結弦(23)と並んで立った表彰台で、ひときわ小さい宇野は泣いていた。回転不足を取られ、演技の内容に不満だったのだ。ホテルでも泣きじゃくるほど、悔しがった。
15年にシニアに転向してからは、急成長を遂げた。苦手だったジャンプは武器になった。樋口美穂子コーチはこう話す。
「ジャンプが跳べるようになって、評価されるようになってから、苦しい半面、楽しみがあるって思えるようになったのかな」
ここ数年でようやくスケートを楽しめるようになった。