14年末から15年3月にかけては、尿膜管遺残症で下腹部を手術し、その後に古傷の右足首を捻挫。股関節も痛めるなど、不運が重なった。それでも、手術後の氷上練習再開から1カ月弱で迎えた世界選手権で、2位になっている。
この時、復帰から目指す大会までの短い練習期間の中でも調子の浮き沈みがあった。そのことについて羽生は語っている。
「ジャンプできない期間があったことで、これだけジャンプしなかったら調子が悪くなるとか、ジャンプをしすぎると逆に悪くなっていくという感覚がつかめた。自分のピーキングについて考えるきっかけになりました」
「4回転ジャンプはミスをしましたが、それでも世界選手権で2位に入る演技ができるというのは、すごく自信になりました。ピークを合わせることは大切ですが、ピークではない時も練習では跳べる。じゃあどうすれば試合で跳べるのかという点を、反省として生かしたい」
この時の経験が、おそらくは平昌五輪に生きる。
13年には、2月にインフルエンザで10日間休み、その後の練習で左ひざを痛めて、3月に痛み止めを服用して出場した世界選手権で4位になった。
16-17年シーズン前には、左足甲付近のリスフラン関節靱帯損傷で約2カ月間の休養。しかし、そのシーズンにはGPファイナル4連覇を果たし、世界選手権優勝で締めくくった。
幼い頃からのぜんそく。繰り返されるけが。練習場所が確保できない時期もあった。そんな厳しい環境で培われた「効率の良さ」が、短期間での復活を支えているのだろう。
特に、コーチの助言や自分のひらめきを言葉にしてノートに記録し、その言葉を動きに変換する力はずばぬけている。一度身につけたジャンプの感覚を短期間で取り戻すことができるのはそのためだ。
4回転サルコーを完全には自分のものにできていなかった13年、羽生がコーチのブライアン・オーサーを質問攻めにしたことがあった。
「助走のカーブは?」
「跳び上がる方向は?」
「氷についていないほうの足の使い方は?」
「腕をどう使うのか?」
平昌五輪では、そうやって身につけた4回転サルコーが連覇のカギを握る。
※AERA 2018年2月19日号