筆者が驚いたのは、そう思いながら日々をやり過ごしていた、という事実だった。筆者の戸惑いに気付いたのか、女性はこう付言した。

「それぐらい、米軍機が近くを飛ぶのは当たり前なんです」

 このインタビューのずっと後、筆者は写真撮影のため第二小の屋上に立ち入らせてもらった。そのとき、四隅に配置されたポールの先端部に赤色灯が取り付けられているのに気付いた。宜野湾市によると、第二小の新校舎建て替え時、基地との距離があまりに近いことに危機感を抱いた。そのため、夜間や天候不良で視界の悪いときなどに米軍機のパイロットの目印となるよう、安全対策の一環として市の判断で据え付けたのだという。女性の記憶に残る「幻の接触事故」は、この赤色灯のおかげで「幻」で済んだ可能性もあったのかもしれない。

■不吉な言葉は口に出せなかった

「そてつ」には、各号の巻頭で校長がメッセージを寄せるのが習わしになっている。86年度に書かれた以下の、テンポのよい文体が印象に残った。

普天間第二小学校は
校舎が古く
タイルがはげて
きたない
と、人はいいます
でも、毎日、毎日
みがきますから、セメントは
ピカピカ光ってきます。
(中略)
普天間第二小学校は
基地のそばで
飛行機の音が
うるさい
と、人はいいます
そうなんですけど
でも、
どうしましょう

 この文章を書いた当時の校長に、在職時の記憶を尋ねると、こう話してくれた。

「米軍機の離着陸時には、教室の窓ガラスがガタガタと揺れるような状態でした。あんなに基地と隣接しているのはどう考えてもおかしい。もし、米軍機が墜落したら、と心配する声は当時のPTAの人たちにもありましたが、私は仮定の話だとしても、そんな不吉なことを口にしたくはなかった。心に思っていても決して言葉にはできなかった。それだけは今も記憶にあります」

■聞こえなくても…

 最も心に刺さった作文がある。タイトルは「聞けない耳 きけない口」だ。5年生の女子児童が書いた。

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最も苦労して探し当てた女性は涙を流し…