ただ、音楽を含む芸術一般には、個人的な狂気や傷を曝す、というテーゼみたいなものがあるから、遺伝子工学とか、生殖に対するテクノロジーの介入をタブー視する感覚とも似て、「作曲までコンピューターがするなんて、世も末だ」と、思ってしまうロマンティークに対して、バカと言って石もて打つことは出来ません。芸術は基本的には魔法ですし。

●音楽家全員失業はない

 とはいえ、先ほど言った通り、機械でも出来ることしかしていなかった作曲家、演奏家、歌手は、機械に失業させられますし、同時に、音楽家全員が失業するなんてことは絶対にありません。1980年代にMIDIという新しい音の規格が登場したときも、「ドラマーが失業する」と言われたものですが、あれから30年以上経って、MIDIに駆逐されたドラマーなんていません。作曲も、詩作も、文学も、絵画も、魔法とはいえ、機械で作れてしまう部分は最初から大いに含まれています。「発想」もです。我々は「機械的に発想」することも多々ありますよね。創作の現場でもそれはあります。

 テクノロジーは失業者を出すというリスクと、手仕事に新たな可能性やイマジネーションを与えるという恩恵があるわけで、怖がったり称揚したりするものではなく、他ならぬ我々が作った便利な道具だというだけです。やがては、傷や、不完全さ、狂気のようなものも、デジタルに入力出来るようになるでしょう。現に実際の傷や狂気も、テクノロジーが治療している側面が強いのだから。それでも、医師と患者はいなくなりません。

AERA 2017年9月4日号