井上章一(いのうえ・しょういち)/1955年、京都府生まれ。国際日本文化研究センター教授。著書に『京都ぎらい』(朝日新書)、『関西人の正体』(朝日文庫)ほか多数(撮影/大越裕)
井上章一(いのうえ・しょういち)/1955年、京都府生まれ。国際日本文化研究センター教授。著書に『京都ぎらい』(朝日新書)、『関西人の正体』(朝日文庫)ほか多数(撮影/大越裕)

 AERA(2017年8月14-21日号)では、「この国を覆う不機嫌の正体」について特集している。『京都ぎらい』の著者、井上章一さんに話を聞いた。

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 京都人によく見られる行動に「褒めながらけなす」というものがあります。私は中年になってピアノを始めたのですが、近所の人から「お上手ですね」と言われたとします。これを文字通りに「褒め言葉」と受け取ってはいけません。言われた瞬間に「やかましくてすみません」と謝るのが、正しい姿勢です。

 同様に、電車の中で大声で泣き出した子どもに、「元気だねえ」と声をかける乗客も、決して褒めているわけではありません。「生きていること自体が人に迷惑をかけている」という意識を持つことが、この国でうまく生きていくためには必要なのです。

 十数年前、ブラジルの大学に赴任した時のこと。私を招聘してくれた教授が文学部長に、「この人はベストセラーを連発する、日本では大変有名な著述家だ」と紹介してくれました。部長は満面の笑顔。私は驚き、「滅相もない」と否定しました。すると部屋を出てすぐ教授は怒り出し、「日本人はいつも自分を小さく見せようとする。それはこの国では卑怯な振る舞いだ」と言うのです。

「では何と答えればよかったのですか?」と聞くと「日本で私は、芥川、谷崎、三島と並び称されている」と言えばいいと。「ブラジル人なら全員そう答えるはずだ」と、場の勢いもあってか、断言しました。

 日本人の親はたとえ子どもが成績トップでも謙遜するのが美徳と考えます。子どももそうした親の態度を見て育ちます。その結果、日本人は諸外国の人が「ひねている」とうけとりやすい大人になるのです。(構成・ライター/大越 裕)

AERA 2017年8月14-21日号