龍馬暗殺の「黒幕」は西郷隆盛だった。
幕末最大のミステリー、龍馬暗殺の黒幕をこう指摘するのは、東京大学史料編纂所の本郷和人教授だ。薩長同盟で龍馬と信頼関係を築いていたはずの西郷隆盛がなぜ?
「龍馬暗殺の実行犯は、京都見廻(みまわり)組であると学術的にほぼ確定しています。ただ、歴史を楽しむという観点から、こうであっても不思議ではないだろうという仮説です」(本郷教授)
龍馬は、1867(慶応3)年11月15日夜、潜伏していた京都・河原町の醤油商「近江屋」で斬り殺された。享年33。遺体には複数の刀傷があった。
龍馬の死後、実行犯や黒幕は諸説渦巻いた。新選組、長州藩、紀州藩から土佐藩まであるが、いずれも決定的な証拠に欠ける。今、研究者の間で定説となっているのは、京都の治安維持を担っていた京都見廻組だ。
●家族に言い残した
明治維新後、京都見廻組幹部の今井信郎(のぶお)という男が逮捕され取り調べを受けた際、見廻組による龍馬殺害を自供している。襲撃には隊士7人が加わり近江屋の2階には4人が上がった、と。
さらに幕末・明治維新の資料を展示する「霊山(りょうぜん)歴史館」(京都市)には「龍馬を斬った刀」が展示されている。持ち主は、見廻組の桂早之助(かつらはやのすけ)。当時27歳の剣豪だった。脇差しは、早之助の子孫が秘蔵していた。刀身42・1センチで、近江屋に踏み込む際、狭い屋内を想定して準備したといわれる。
同館学芸課長の木村武仁さんは言う。
「早之助は『この刀で龍馬を斬った』と家族に言い残したといわれています」
ここまで証拠がそろっていながら、本郷教授が西郷隆盛を黒幕と考えるのはなぜか。
「一番引っかかるのは、見廻組に龍馬を殺害する動機がないこと」(本郷教授)
●最終責任者は西郷
見廻組はいわば今の警察組織で、中でも旗本で構成されたエリート集団。その公的機関が私的な「恨み」などで人を殺害するとは考えにくい。暗殺を自供した今井は人を殺しておきながらわずか2年で釈放されている。さらに龍馬は、幕府の重臣と肝胆相照らす仲で、最後の将軍・徳川慶喜を側面から援護していた。その龍馬を見廻組が暗殺するというのが、どうしても説明がつかないという。他にも紀州藩黒幕説などについては「動機が薄い」と、本郷教授。